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建築のモノサシ

信州大学工学部社会開発工学科:学部2年 2006年冬

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第4講 箱と袋 - form

第四講義から第2部である。第2部は建物の表面の話である。表面とは表面の形もあれば色もあれば、肌理といったこともある。今日の話は建物の形である。

子供に「おうちの絵を描いてごらん」というと三角屋根のおうちを描くものだとものの本には書いてある。世界のそして日本の建築の伝統的なかたちが三角屋根だ。パルテノン神殿だって、飛騨高山の合掌造りだって三角屋根だ(勾配は異なるけれど)。しかし4年前ここで70人の学生に「あなたのイメージする住宅を描いてください」と指示し、三角屋根を書いた人は37人だった、一方四角い箱を書いた人が20人近くもいたのである。これには少なからずびっくりした。もちろん木造住宅も減少し三角形の切り妻の家が少なくなってきているのは事実だし、マンション住まいの人も多かろう。でも30%近い学生の住宅の原風景が四角い箱になってきたのかと思うと、モダニズム強しと思わざるを得ない。

ここにいた学生君たちの生まれた80年代、ポストモダニズムが吹き荒れる中ではあるけれど、死骸のようなモダニズム建築が巷にあふれ(今でもあふれているけれど)そうしたところに多くの人は生まれ育っていたはずだ。そして物心ついた90年代はとき既にアフタポストモダンの時代でモダニズムの箱がまた世の中を席巻し始めていたのである。だから君たちの先輩である80年代生まれの人たちにとって住宅は(もっといえば建築は)箱なのである。

さてしかし、四角い箱を、デカルトのグリッドを、否定する建築の系譜はポストモダンを待つまでもなくあった。その筆頭に、僕は逆説的だが、ロースを挙げてみたい。その理由は、ロースは箱の美しさではなく、人を包む袋を作ろうとしたと思うからである。そしてこの箱の否定は、ここで紹介するように、哲学的に、直角を脱構築しようとしたポ−ル・ヴィリリオ、クロード・パレンのような人に受け継がれ、デコンがあったりして昨今では生物学へと繋がる。ここに箱を否定する系譜が脈々と流れていることを改めてみるのである。まるで地下水脈のようなものである。繰り返しになるが、それらの建築はカルテジアンを前提としない、建築の普通の根拠としての人を包みこむ袋という前提なのである。