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チャロー!インディア

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森美術館で「チャロー!インディア」というタイトルでインド現代美術の展覧会が行われている。インドの現代美術って何だ?ぴんとこない。見たことも聞いたこともない。と思ってはいるが実は覚えていないが見てはいるはずである。というのも出品者の中には2005年のヴェネツィアヴィエンナーレ、2008年の横浜トリエンナーレに計4名出展しているからである。その他世界の美術展に出展しているアーティストも多くいる。そもそもインド国内では十分評価をする基盤が確立されていないようで、そのあたりは程度の差はあれども事情は日本と同じである。さてそんなインド美術にイノセントな状態でこの展覧会を見に行った。そして二つのことを感じた。一つは15年くらい前に行ったインドの印象からは想像を絶するものがここにはあるという感じた。つまり僕が1980年代半ばに一週間旅行者として過ごしたインドは貧しく汚くでもずっと昔には文化があっただろうなあという国だった。もちろんそこは敬愛すべき豊かな国ではあったけれど、アートを作るような基盤はとても感じられなかった。もちろん一週間街を歩いて何が分かるか?と怒られそうだ。直観にしても少しいい加減で印象と想像の域を出ていないことはよく承知しているが実際インド現代アートが盛んになるのは90年代なのだそうだ。さてこんな印象をことさら書くのは、日本も同じような対象としてその昔欧米人に映っていたのではないだろうかと感じたからである。つまり日本も現代アートなんていうものが登場した60年代頃はきっとアート先進国の欧米人は日本社会を見ながら同様のことを感じていたのではなかろうか?戦後高度成長期に家電三種の神器などと騒いでいる日本を見てアートの土壌など皆無と思われたのではなかろうか?
さて二つ目に感じたことはインドでも現代アートは他と同様だという点である。現代アートは昨今ますますひとつの商業対象として世界に流通するグローバルなモノとなってきている。とは言っても制作者の場所性が現れることも一つの特徴である。つまりはローカルとグローバルの狭間で揺れ動く対象である。しかしその評価システムやその基準はグローバルな力の中で動いている。そうした状況は今回の展覧会に如実に表れている。そもそも世界の展覧会に多く出品しようとする姿勢からみてもすでにグローバルなシステムに乗っているしそのジャンルの作り方や制作のメソッドも他の国際的な展覧会に並ぶものと変わらないグローバルなものと言えるだろう。
さてこう書くと全然インドっぽくないのかと思われそうだがそうでもない。もちろんインド臭さはいろいろある。でもそういうインド臭さが彼らの主張として何か意味を持つというのが現代アートの主たる役割でもないだろうしそうしたオリエンタリズム(と言っていいのかよくわからないが)で立ち向かうことにこちらの興味ももちろんない。そんなことならカメラ片手に観光旅行すればよいのだし。

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