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2008年08月31日

村野藤吾展

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新橋にある松下電工汐留ミュージアムで一カ月ほど前から「村野藤吾-建築とインテリア展」が行われている。
村野は1918年に早稲田を卒業し渡辺節の事務所に入所する。学生時代は分離派のとりこだった村野が様式建築を手がけるようになるのは渡辺節に「売れる設計をしてくれ」と言われたからだとか。なるほど村野のデザインが作為に走らず極めて素朴なレベルでクライアントに忠実であるしそして一般受けしそうに見える(様式的)のはこの最初の渡辺の教えなのだと合点がいく。
僕が日建時代の最初の仕事は村野が渡辺節時代に作った日比谷ダイビルという建物の一部保存、建て替えだったため村野デザインはこのころいやというほど勉強した。何を隠そうプランは実に合理的でまったく無理はないのである。ただ局所的に狂気とも思える説明できないデザインが登場するのである。でもそれはいかにも「売れそうな」楽しいものであり、村野の売れる建築を痛感した。

隈さんがカタログで村野とコルビュジエを比較している。大地から飛翔して、資本主義世界の中に商品化されていくものとなるコルに対して、村野の建築は大地から生えていると書いている。そしてかたくなに商品化されないと。それはすでに21世紀的な建築の性格を予言していたというのである。先日箱根に行き、海賊船からプリンスホテルを見たとき思わずキノコであると思ったし、その昔八ヶ岳の現場に通いながら八ヶ岳美術館に行ってやはりキノコだと思った。単純に建物の下部がスカートのように広がっているということだけではない。その建ち方がキノコなのである。隈さんのいうことは素直に理解できる。
村野の真骨頂は売れる建築であり、キノコの建築である。売れるとはつまりは消費社会の中でいかに建築をキッチュギリギリのところで建築たらしめるかということであり、伊藤さんが80年代に投げかけたテーマである。一方キノコであるということは建築が環境とどのように向き合うかということであり現在の建築にとってもちろん重要ななにかである。
村野の建築はその意味で現在の建築に欠けている何かをこっそり教えてくれるような気がしている。

2008年08月16日

フェルメール展

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「マルタとマリアの家のキリスト」
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「リュートを弾く女」
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「絵画芸術」

フェルメール展が8月2日より東京都美術館で行なわれている。一度にフェルメールの絵画が7点も来るなんていうことは初めてのようだ。去年だったか、国立晋美術館で行なわれた「アムステルダム国立美術館所蔵フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」では展覧会名にフェルメールと付いているが、フェルメールの絵はタイトル通り「牛乳を注ぐ女」一点のみであった。その前には2000年に国立西洋美術館で「アムステルダム国立美術館所蔵17世紀オランダ美術展 レンブラント、フェルメールとその時代」展が行なわれた。僕の記憶が正しければ「恋文」1点しかなかったのではなかろうか?
スポンサーの第一生命とTBSの資金力のなせる業なのだろうか?いずれにしても7点も一辺に見られるチャンスはめったに無いはず。そして今回は所謂フェルメールらしい代表作以外も見られることでフェルメールの全体像が見えるように思われる。例えば現存している物で最も古いとされる「マルタとマリアの家のキリスト」や「ディアナとニンフたち」はそれぞれ宗教、神話が題材となっている。日常の風俗画家であるはずのフェルメールは実はそのキャリアの初期は物語画家だったのである。そして小さな絵ばかり描いていたと思われているフェルメールだがこれら初期作品は一辺が1メートルを越す大作だったのである。また光輝く彼の絵はそのテクスチャがどちらかというと「リュートを弾く女」のように点描的に思えるのだが、初期のこれらの作品は面取りしたような描き方である。
かくのごとく余り知られぬフェルメールらしくないフェルメールを見るのも楽しいものである。一方有名はフェルメールの代表選手としては「絵画芸術」なども来ている。この絵は森村泰昌がオブジェ化したことで有名だが、こうしたヴィジュアルを得るための物や人の配置には無理があるようだ。当時のオランダ絵画を規定した透視図法の呪縛の中でフェルメールは微妙にその空間をゆがめていたようである。