村野藤吾展
新橋にある松下電工汐留ミュージアムで一カ月ほど前から「村野藤吾-建築とインテリア展」が行われている。
村野は1918年に早稲田を卒業し渡辺節の事務所に入所する。学生時代は分離派のとりこだった村野が様式建築を手がけるようになるのは渡辺節に「売れる設計をしてくれ」と言われたからだとか。なるほど村野のデザインが作為に走らず極めて素朴なレベルでクライアントに忠実であるしそして一般受けしそうに見える(様式的)のはこの最初の渡辺の教えなのだと合点がいく。
僕が日建時代の最初の仕事は村野が渡辺節時代に作った日比谷ダイビルという建物の一部保存、建て替えだったため村野デザインはこのころいやというほど勉強した。何を隠そうプランは実に合理的でまったく無理はないのである。ただ局所的に狂気とも思える説明できないデザインが登場するのである。でもそれはいかにも「売れそうな」楽しいものであり、村野の売れる建築を痛感した。
隈さんがカタログで村野とコルビュジエを比較している。大地から飛翔して、資本主義世界の中に商品化されていくものとなるコルに対して、村野の建築は大地から生えていると書いている。そしてかたくなに商品化されないと。それはすでに21世紀的な建築の性格を予言していたというのである。先日箱根に行き、海賊船からプリンスホテルを見たとき思わずキノコであると思ったし、その昔八ヶ岳の現場に通いながら八ヶ岳美術館に行ってやはりキノコだと思った。単純に建物の下部がスカートのように広がっているということだけではない。その建ち方がキノコなのである。隈さんのいうことは素直に理解できる。
村野の真骨頂は売れる建築であり、キノコの建築である。売れるとはつまりは消費社会の中でいかに建築をキッチュギリギリのところで建築たらしめるかということであり、伊藤さんが80年代に投げかけたテーマである。一方キノコであるということは建築が環境とどのように向き合うかということであり現在の建築にとってもちろん重要ななにかである。
村野の建築はその意味で現在の建築に欠けている何かをこっそり教えてくれるような気がしている。