80年代に僕らは何を感じていたか?

 ポストモダニズム・バブル=過渡期として軽視されてきた80年代も昨今ようやく意味ある時代として分析の対象となってきた i 。それらの分析は過渡期の特殊性をあらわにするか、過渡期が前後をどのように接続したかを明らかにするものである。本論は後者のスタンスにたち過渡期の深層に1)デコンストラクティヴィズム、2)複雑系、3)コールハースによる60年代の継承という3つの流れを概観するものである。

はじめに
 80年代は歴史の空白期のように言われる。特に日本においてはバブル経済と重なり、ポストモダニズム・バブルがこの時期の建築を特徴付けた。しかしそうした建築はその後の時代に受け継がれなかった。その意味でこの時代は過渡期として扱われる。しかし80年代の建築理論を考える時、そうした時代の表層で主役を演じたポストモダニズム・バブルとは裏腹に、我々は60年代から何かを継承し、あるいは新たな何かを付加し、90年代への基盤を作っていたように思われる。本論はそうした何かを考えるヒントを提示するものである。

空白期の表層
 80年代の建築理論をデーターとして振り返るなら、欧米については、チャールズ・ジェンクス(Charles Jencks) ii 、ニール・リーチ(Neil Leach) iii 、マイケル・ヘイズ(K. Michael Hays) iv 、らによる建築理論のアンソロジー、日本においては五十嵐太郎のブックガイド v が参考になる。

ジェンクスは20世紀後半を対象として建築理論潮流を以下の6つに分類する。a, post modern  b, post modern ecology c, traditional d, late modern e, new modern f, complexity paradigm。ここにおいてaからcはアンチモダンの発想であり、dからfはモダンを昇華させる発想である。80年代に登場する理論家の多くは、前者のアンチモダン系に分類される。しかし量的には少ないもののそうした表層のメインストリームの陰で、eのnew modernに分類されるデコンストラクティヴィストが多くの論考を発表している(実作が伴わなかったために余り表面化していなかったのだが) vi 。またfの複雑系は77年にマンデルブローのフラクタル理論が発表されたのち、80年代にそれを追随する建築理論は現れず、90年代に ベン・ファン・ベルケル、グレッグ・リン、MVRDV等が論考を発表している。

ニール・リーチの理論史は20世紀に登場した哲学者、社会学者達の建築に対する思索を追っている。リーチは全体の潮流を5つに分類する。a, modernism b, phenomenology c, structuralism d, postmodernism e, post structuralism、この分類において80年代に多くの言説を残したのは、c, d, eに分類される論者たちである。つまり記号論、ポストモダニズム、脱構築の理論家たちである。

ヘイズの視点はジェンクス、リーチと重なる部分が多い。また五十嵐のブックガイドから80年代の日本の著作を抜き出すと、比較的都市論が目に付く、ポストモダニズムを真剣に語るものは無い。やはり日本ではポストモダニズムは他人事だったということだろうか。


空白期の深層へ
 空白期に書かれていたもの主流は、上述の通り広い意味でのポストモダニズムである。建築界でも哲学界でもそれはもはや既定の事実である。しかし80年代初頭に大学に入学し、80年代半ばに建築の仕事を始めた僕らは、こうしたポストモダニズムに思想的には刺激を受けながら vii も造形言語として真剣に相手にしていたとは思えない。どちらかというと、次の時代に何が起こるのかということを模索していた。篠原一男が言うように、「ポストモダニズムは幕間劇」であろうと考えていた。

もちろんこうした書き方は今だからできる。そして今だから、その時の状況を現代を説明するべく布置することが許されるのであろう。そこで次節において、ジェンクスとリーチに依拠し、時代の深層を再検討してみよう。


3つの流れ
 次代に向けて新たな理論が付加されたものとしては、ジェンクスが、new modern, complexity paradigm として分類する項目、つまりデコンと複雑系を挙げることができる。デコンは88年にニューヨーク近代美術館で結晶化する viii 。その当時、殆ど実作の無かった彼らが現在では世界中で活躍しているのを見れば80年代の彼等の思索がその胎動期としていかに重要であったかが理解できよう。実際、僕らはポストモダニズムを尻目に彼等のドローイングに熱狂し、数少ない海外雑誌を漁っていた。また複雑系に関しては、(複雑系を分類の一つに据えるかどうかは異論もあろうかと思うが、ここではジェンクスの分類に依拠しておく)その理論の発表は90年代を待つことになるが、実質的には80年代にその準備が行なわれていたと見るべきであろう。
一方過去から継承したものとしては、リーチがphenomenologyとして分類するハイデッガー、ルフェーヴルを指摘できるであろう。この二人の著作は60年代の建築理論に大きく影響を与えながら、現代にまで継承されてくることになる。そしてその60年代の重要性を当時(80年代に)建築プロパーの問題で我々に知らしめてくれたのは磯崎新による『建築の解体』 ix であった。本書は副題が示すように「1968年の建築状況」を説明する本である。もちろん80年代にその本は過去のこととして読まれたわけだが、この本に登場するアーキグラム、スーパースタジオ達の建築理論を僕らは丹念に読み込んでいた。

そしてこうした68年的建築状況が若きコールハースを震撼させ、彼は自他ともに認める60年代の継承者となるのである x 。そして事実を羅列するなら彼は78年にDelirious New Yorkを著し、82年にParc de la Villetteのコンペで2位となり我々の前に忽然と登場する。しかし当時我々は既述の「ルフェーヴル」、「68年状況」、「コールハース」を繋げて考えることはできず、それぞれが単独に光り輝いていた。それらが一つの連なる星座をかたちづくっていることに気付くのはだいぶ後になってからである。そしてそこに共有されるものを一言で言うならば、建築が人間という集団の欲望の上に基礎付けられているという考え方であろう。

80年代とはこの人間を中心に据え直した建築理論を68年から現代へ向けて地下で繋げた時代だったように感じられる。

60年代が90年代へと受け継がれる現象はアートの分野においても起こっている xi 。80年代とはこうした90年代ひいては現代を生むために地下マグマが流動した時期だったのである。


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i 例えば、宮沢章夫『「80年代地下文化論』講義』白夜書房、2006、原宏之『バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代』慶應義塾大学出版会、2006など
ii Charles Jencks, Theories and Manifestoes, Wilesy Academy, 2006.
iii Neil Leach, Rethinking Architecture, Routledge, 1997.
iv K. Michael Hays, Architecture Theory since1968 ,Columbia book of architecture,1998.
v 五十嵐太郎編『20世紀の建築・都市・文化論ブックガイド』INAX出版、1999.
vi コープ・ヒンメルブラウ、ベルナール・チュミ、ザッハ・ハディッド、ダニエル・リベスキンド、ピーター・アイゼンマン、ジョン・ヘイダック、ジェフリー・キプニス、マーク・ウィグリーの論考が80年代のものとして掲載されている。
vii 浅田彰の『構造と力』が生協で平積みとなってよく売れたのが大学4年のときである。
viii 1988年にDeconstructivist architecture 展がMOMAで行なわれた。

ix 磯崎新『建築の解体』鹿島出版会、1997(初版は美術出版1975)

x 瀧口範子『行動主義レムコールハースドキュメント』toto出版、2004 、p.405

xi 松井みどり「隙間をめぐる冒険」『SD2005』鹿島出版会、2005、 P.128〜129

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初出:『建築雑誌』 2008.3