坂牛卓 選考結果と感想
高々5回の授業と2〜3時間の短い見学の中で書いてもらったレポートとしては坂本氏が指摘するように面白いものだった。しかしあるレベルを超えた文章に対して敢えて、少し辛口な感想をのべるなら、「クリシェ化した言い回しは避け、もっと自分の言葉で語りなさい」と言いたくなる。そんな風に君たちの潜在力を過大評価したい欲求にかられる。
その意味で、(また敢えて坂本氏とやや違う見地から)秀作をひとつ選ぶとするならば僕は桑原君の「実存としての『開け』の構造」に一票投じたいと思う。
この文章は「去り難さ」とか<身体をおき忘れたような感覚>というような独特な詩的な言い回しで読むものを想像の世界に先ずは誘うところがある。しかしその後に出てくるモノサシ概念としてのTDとBUはそうした詩性とはうらはらに妙にドライにダイアグラム的に響き、坂本建築の広がりを(敢えて)限定してしまっている感がある。しかし、その概念の使い方は巧みでTD建築の否定としてのBU性をHouse SAに確認しつつ、BU性に必然的に見出せる人間の存在をこの建物の中心に持ってくる。それはハイデガー的な現存在としての人間であり、そして重要なのはその現存在性を桑原氏は建築自体にも見出そうとする。そうした建築がいわゆる「生きられた家」なのであろうが、肝要なのは、自らの家ではなく、3〜4時間滞在した人の家の中にそうした現存在性の匂いを嗅ぎ取ったことであろう。
僕はこの建物に価値があるとすれば、それはまさにこうした匂いを放つところにあると思っている。ある住人によって生きられたことで誕生した「生きられた家」ではないのである。そうした家は坂本氏があの時言っていたように世の中に沢山あるのである。そうではなくHouse SAとは生きている(現在進行形)生々しさがある。そうした生々しさは生きられたということとはやや違う。そしてその違いが建築家が生きられた家を作る時に生み出さなければならないことなのである。言い換えれば、重要なのは建築家が設計する生きられた家とは何かという設問であり、それに対する答えである。桑原氏の文章はまさにそうした設問と答えを用意しているように僕には感じられた。
実存としての建築の「開け」の構造 ――〈TOP-DOWN/BOTTOM-UP〉を尺度として
桑原俊介
「全ての感覚を全開にして、この建築たちと向かう覚悟でぶつかること」。この言葉は、建築見学会の注意事項として事前に申し渡されたものである。この言葉は、建築を体験した過去を超えて、建築を振り返る現在にも適応されるべき言葉であろう。私が「全ての感覚を全開にして」ぶつかったHOUSE SAを、今、「全ての感覚を全開にして」再び振り返るとき、そこには生々しい身体感覚として、その「去り難さ」の感覚が全身に蘇ってくる。この生々しき身体感覚を敢えて分節化するならば、〈身体を置き忘れたような感覚〉という謎めいた言葉が発明されうるのかもしれない。とはいえ、謎は謎であることに、その力と豊かさをもつとするならば、この、「去り難さ」という身体化された〈謎〉が、この論稿の主動原理となり、私の筆を司る導きの糸となるであろう。但しこの糸は、迷宮の出口へ通ずる糸ではない、この糸は迷宮の中心に通じている。
とはいえ、この論稿ではHOUSE SAが誘発する郷愁的な“想ひ出”を語る事が目的なのではない。懐古趣味の雄弁の筆はここでは封印されねばならぬ。論文の冷たい筆を握り直し、再び建築見学会の注意事項ポイント1(「見た建築を評価する尺度を明確にして論じること」)に回帰し、「尺度」を提示することから始めなければならぬ。
私がここに提示する「尺度」とは〈TOP-DOWNの建築/BOTTOM-UPの建築〉である(以下〈TD/BU〉と略記する)。
HOUSE SAから遡及的に建築家の作品系譜を振り返るならば、そこには緩やかなTDからBUへの変遷の痕を辿ることができよう。初期のBOX IN BOX(正確にはBOXES IN BOX?)では、建築家自ら〈主題としての補助空間〉と名付ける〈中心なる空間〉(残部としての主室)によって、複数形のBOXESが、その全体性に向けて階層化され集約される(受動態)。ここでは、建築家自身が「包含関係はツリー構造をなし、階層的全体を形成する」(『日常の詩学』246)と記述する如く、部分としての複数のBOXESは、単数のBOX(「砦」「閉じた箱」)によって安定した閉鎖系を維持されつつ、〈中心なる空間〉(それは「住宅全体を示すべき凝集した形での空間」と呼ばれる)を頂点とする階層的秩序の元に強権的に全体性に向けて束ねられている。ここには、正に私がTD的と呼ぶ空間が典型的な形で現出している。表現を裏返せば、BOX IN BOXがその統合原理である〈中心なる空間〉を失うことは、各部分の拡散と散逸を意味すると言えよう。
更に遡及の歩を進め、TDからBUへの変遷を辿るならば、BOX IN BOXは「家型」に出会い、更に〈HOUSE F〉に出会うことになる。このような、閉鎖から開放(not yet 解放)に向かう変遷を逐一辿り直す余裕はここにはない。だが、BOX IN BOXからHOUSE SAへの変遷において、建築家の作品が、様々な段階と多様な内的契機を経て(例えば〈都市〉表象の変化)TD型の構成原理から自由になっていったという揺ぎなき事実をここに改めて確認しておくことは無意味ではあるまい。
では、HOUSE SAに典型的に現れるBU型の建築は如何に言説化されうるのか。ここではまず、建築家自身の言葉に手掛かりを求めたい。「特に「HOUSE SA」では、構成部材が外在化して独立した条件に対応した配置によって形成されることから、それぞれの部位、部材が並列・併存することで、強く階層化・統合化されることなく非完結化した空間を構成している」(203)。建築家はここで明確にHOUSE SAの特性を「部分の並列と併存」の内に定位し、住宅の各々の部分が、偶然的とも言える在り方で隣接する外在要因との個別的な関係によって全体から独立に造形されていることを認める。そこには中心的な統合原理である「統辞的・機能的関係」によるTD型の「階層化・統合化」は不在であり、個々の部分は各々独立に並列・併存するに過ぎない。そこでは、建築の全体性は(それが在ると仮定して)予定的に生み出されるのではなく、結果的に生まれてくる■1。
今、私はHOUSE SAの全体性を留保付きで認めたが(「それが在ると仮定して」)、建築家自身は別の箇所で極めて明白にHOUSE SAの全体性を否定(むしろ拒絶)している。そして、そのような〈全体性の欠如〉乃至〈完結性の欠如〉こそ、彼の主題である「建築の開放(解放)」の理念の具現化であるとして、それらを積極的に評価してさえいる■2。とはいえ、彼の「独立した個々の部分の並列・併存」という表現の内に、単に、独立した部分が相互に無関係に林立する断片的な建築を想起することは早計であると言わざるをえない。そこには、全体性とまでは言わずとも、部分が相互依存的に「有機的な連関」を維持しつつ、ある種の関係性の網を紡ぎ出していることを認めずにはいられない。例えば建築家自身もW. フォーサイスの舞台に関して興奮気味に次のように述べている。「20名ばかりの踊り手が、それぞれバラバラな独立した動きの舞のなかで、共有した空間を形成している。そこには、ほとんど中心が存在せず、一人ひとりの踊り手が同格的に舞台を構成し、しかもそれぞれは全く独立していて、一見思い思いに自由に動いているかのように見える。しかし、この中心を喪失した舞台は崩壊していないどころか、密度の高い空間を形成していた」(196)。彼はこのような〈個々の部分の独立とそれらが生み出す共有空間〉という逆説(?)を、建築の空間に応用しつつ、それを「モノとモノが緩やかに関係する空間」における「共振」と呼び、おのおのの部分が個々独立しつつも(むしろ、独立しているからこそ)、相互に「緩やかな」関係性を保ち合いながら「密度の高い空間」を創出することができると言う。そして彼は、これらの独立した諸部分は「強い秩序によって統合されている」(受動態)のではなく、「部分が全体から独立し、自由な関係をなす」(能動態)と述べ、それらが中心的なる統合原理によってTD的に全体性の下に統合されるのではなく、個々の部分が互いに関係を創出しつつBU的に空間を形成することを強調している■3。
但し、ここでBUという言葉には更なる留保が要る。このBUは、厳密に言えば、通常考えられるような、部分部分が相互に関係しつつ、ひとつの全体性へと総合的に収斂することを意味するのではない。むしろそれらの関係性はひとつの完結した環(全体性・完結性)を閉じることなく、だからといって互いに拡散するのでもなく、緩やかに結びつき合いつつ、中心を持たない有機的な関係の網を生み出す。その意味で、ここでBUが収斂する先とは、それが在ると仮定して、〈無限に広い全体性〉であるとさえ言うことができるのかもしれない。建築家が絵画の比喩で語る言葉を借りれば、「これらの各場は、独立しながら柔らかな関係をもって他の部分と、そして絵画の縁を越えて外部に連続している」(196)のであり(このような表現から推すに、建築家が「完結性」と呼ぶ「全体性」とは、恐らく外壁によって囲まれた閉鎖空間としての建築空間の全体性であると思われる)、その意味で、建築の全体性は、建築の外壁を越え、世界へと連続してゆく(以下、全体性という言葉はそのような意味で用いたい)。
とはいえ、ここでは建築の外壁を超えて世界へ通ずる「全体性」に関して更に思考する必要がある。そもそも全体性は如何なるものか■4。
HOUSE SAのBU的な全体性を考えるとき、建築家自身もそこに何度も言及するように、その「非完結性」について考えることが肝要である。或る建築がTD的ではなく、BU的に在るとき、それは、時間的且つ空間的に開かれた許容空間となる。というのも、部分から全体性が生まれるBU型の場において、部分の取捨選択の原理は極めて緩やかに働くに過ぎず(全体から部分が演繹されるTDでは、全体の原理に適応しない要素は部分としての資格を持ち得ず、全体から選別され、排除される)、権利的にはあらゆる要素の参入に開かれているから(HOUSE SAが極めて多彩なる家具や調度品を、時間と空間を超えて抱擁しているという事実を見るだけでもそれは明白であろう)。
その意味で、HOUSE SAはあらゆる部分(それは建築部材に限られぬ)の参画に開かれており、それゆえ、あらゆる部分が建築の在り方を変化させうる。TD型の建築のように、その頂点に画された原理原則から逸脱する要素が排除される場合、そこに建築のダイナミズムを期すことはできまい。一方で、BU的建築が、原則的にはあらゆる部分の参画に開かれており、部分の変化が建築そのものの変化へと緩やかに直結するという意味において、それは時間的にも空間的にも正に「自己の変容に対して開かれた空間」となり、そこに建築のダイナミズムが生まれると考えられる(完成直後の倉庫のような印象を与えたという空っぽのHOUSE SAと、多くの家具と多くの人間の痕跡を部分として含んだHOUSE SAの表情が驚くほど異なるように)。そして、建築の部分のひとつとして、他でもない〈人間〉が含まれうることが事実であるとするならば、人間の身体が正に建築の内部に入り込み、そこに替え難き部分としてかの全体性の創出に参画するとき、身体は正に建築の部分として、建築空間を構成する一要素と化す。
ここに建築における〈人間〉が姿を現す。
坂本一成の建築から〈人間〉を取り除くことはできない。そのことは、建築家自身が、異化作用としての「詩学」という言葉に対し、頑なまでに「日常の(in the ordinary)」という限定句を賦与することにこだわる姿勢からも窺い知ることができよう。そして、建築の部分のひとつに、〈人間〉が含まれることは、人間が建築の一部と化したことを意味すると同時に、建築が人間の一部となったことも意味している。その意味で人間も建築によって変わる。建築家の言葉を借りれば、建築の主要なる「問題は、私たちの生活や活動が生き生きと活気づき、精神や身体が解放される、つまり人々が自由なかたちで自分を獲得する、そんな場を成立させる座標としての空間を提出する形式」(192)であり、そこには建築家の〈人間〉に向かう絶えざる視線があり、人間が正に身体的に体験しそこに自己の変革を賭す空間としての建築空間への鋭き意識がある。
建築家は我々の質問に答えて、設計段階における建築の像と、その完成における実際の象とが寸分違わぬという驚くべき事実を「発見するのではなくて、確認する」という言葉によって美事に表現したが、それは決して建築が建築家の意図に従属することを語る言葉ではあるまい。建築という実存は、一旦生み出されたならば、制作者の手を離れて自立的生を送り始めるのではなかったか。それは様々な部分と条件を許容しつつ、その内に自己の生を賭し、その生をダイナミックに変容させてゆく。小林秀雄の言葉を捩って言うならば「建築は、建てた人の意図なぞとは全く関係ない意味合いを沢山持って生き死にしている」(「実朝」)のである。このような建築の実存を可能にするのが、正に建築の「開かれてあること」であり、建築がTD的ではなく、BU的に生み出されているという事実であろう。
論稿の劈頭に、〈身体を置き忘れたような感覚〉というひとつの謎を提示し、この謎が私の筆を導いたのであるが、この謎はやはり迷宮のど真ん中に私を導いてしまった。質疑応答の場面で、偶然に私が占めることになった窓際の小さなスペースに、私は、己の身体が影のように張り付いてゆくのを確かに感じた。更に振り返るならば、建築のあらゆる場面に、自身の視線を眼球ごと忘れて来たような感覚に襲われることも事実である。建築は特権的な視点を有するのではなく、どの視点もどの場所も、ことごとく豊かな体験で満ちていた。あらゆる部分が、たとえ見逃されていたとしても、決して忘れ去られることなく、建築の部分として相互に浸透しあっていた。その浸透が私の実存にも及び、私は建築の部分として建築の実存の一部と化し、同時に、建築は私の実存の一部と化した。この相互浸透の魔力が、謎に対するもう一つの謎として、HOUSE SA体験後の私の身体の内に、今、確かに宿っている。
参考文献:坂本一成、『坂本一成 住宅―日常の詩学』、TOTO出版、2001
註
- ただし、建築家自身はこのような主張を、特定の時代が否応無く背負いこむ「建築の型」乃至「建築の意味」の相対化の議論へと接合する。だが、ここではTD/BUの構図においてこの主張が持つ意味にひとまず限定的して考える。
- 「全体性を放棄した空間、開放系の空間」(p.240)、イマゴ・ムンディに則した「部分と部分がつくり出す関係だけが存在するのみで、部分と全体との関係がない」(p.252)という表現など。
- 彼はそれを「相互依存的、semi-lattice状の有機的関係」即ち「部分重複・重合関係」と呼ぶ(p.245)。また別の箇所では「一つひとつの場が独立しながらつながれる、場と場が継続し連続する空間」と表現する(p.238)。
- 例えば授業で紹介されたウィトルウィウスに倣って、人間の身体の調和的(対称的)構造をモデルとして考えるならば、何らかの形態それ自体、乃至形態の関係それ自体の内に、全体性がアプリオリとして書き込まれていることになり、建築家の仕事とは、形態に内在的なる全体性を単に実現すればよいことになる。だが、建築家自身も「いわゆる計画学的な生活に対する人間工学的あるいはプログラム的検討も、その建築の全体性を統括する枠組、思考とはいえない」(p.238)と断るように、そのような議論は極めて本質主義的で素朴な議論であり、建築の全体性の創出には直接的に関わり得ないと言わざるをえない。
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