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言葉と建築

信州大学工学部建築学科:大学院修士課程 2008年夏

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第13講-2 真実 - truth

1、モダニズムにおける真実とその後

1.1「真実」は十八世紀後半そして、十九世紀の創造物だった。そして、モダニストたちは、その語が十九世紀の最盛期に獲得した多様な意味を再生産したまでのことであった。過度に単純化された議論として、一般的にモダニストとポストモダニストの間の感受性の主要な差異とは、「真実」への執着もしくは拒絶であったと考えられているけれども、だからといって私たちは「真実」をモダニズムを特徴づける概念とみなすべきではないのである。「真実」とは、二十世紀のモダニズムに特有の概念だったのではなく、以前の世紀から引き継がれたものだったのである。

 

1.2真実批判

1.2.1Venturi, R

『建築の多様性と対立性』(1966)

「私が好む要素とは・・・一貫性のある明瞭なものよりも、むしろ矛盾に満ちた曖昧なものなのである」。

彼の熱意は、バロック建築の両義性に対して向けられており、彼はこの両義性をモダニズム建築の単一性との比較のなかで際立たせた。

『ラス・ベガス』

「真実性」にたいしてより一層批判的ではあったが、ここでの批判は、道徳的基準が建築の価値に対して不適切であるということだった。ポール・ルドルフの設計によるアパートに関して彼らはこう述べている。

「クロフォード・マナーあるいはそれが象徴する建造物に対する我々の批判は道徳的なものではないだけでなく、またそれは、いわゆる建築の誠実さや、実体とイメージ自体との間の対応関係が欠如しているという点にも関わってはいない。[……]我々は、クロフォード・マナーの『不誠実さ』を批判しているのではなく、今日において不適切であるために批判するのだ」

 

1.2.2建築の外部からの批判

1.2.2.1 Baudrillard, J『記号の経済学批判』(1972)

 さて、バウハウスの公式を要約してみよう。全ての形態及び、すべてのモノにとって客観的で決定的な{記号内容|シニフィエ}〔意味されるもの〕が存在する。――すなわちその機能である。言語学では、_{明示的意味|デノテーション}_のレベルと呼ばれていることである。バウハウスは、厳しくこの中心、明示的意味というこのレベルを孤立させることを要求している。――残りのすべてといえば、捨石であり、_{言外の意味|コノテーション}_の地獄である。つまり、廃物、余分なもの、こぶのようなもの、風変わりなもの、飾りのようなもの、役に立たないもの。キッチュということだ。明示されるもの(機能的)は美しく、言外に示されるもの(寄生的)は醜い。さらにいえば、明示されるもの(客観的)は真実であり、言外に示されるもの(イデオロギー的)は虚偽である。客観性という概念の背後では、結局真実についての形而上学的、道徳的なあらゆる議論が危機に瀕しているのである。

すなわち、今日崩壊しつつあるのがこの明示という公準なのである。ついに、この公準が恣意的なもので、方法が人工的なものであるばかりか、形而上学的な寓話でもあるということが認識され始めているというわけだ。モノに関する真実_などいうものはない_。そして、明示されるものとは、言外に示されるもののうちで最も美しいもの以外のなにものでもないのだ。(1981、p.196)

1.2.2.2 Barthes, R『テキストの快楽』(1973)

私の愛するものといること、そして何か他のことを考えること。これこそが、私が最良の着想を得る方法、私の作品に必要なものを創りだす最良の方法なのである。テキストについても同様である。もし、何とかそれが間接的に自らを主張させることができれば、私にとって最良の歓びが生まれるのである。同様に、それを読んでいるときに、私が頻繁に目を離し、何か他のことを聞こうとするのであれば。(1973、p.24)

この主体への〔関心〕の移行によって、作品自体が「真実」を生み出しうるというあらゆる考えは終結した。バルトが述べるように、「批評は、翻訳ではなくて、遠まわしな表現に過ぎないのであり、それが、作品の『本質』の再発見を主張することは不可能である。というのも、この本質とは主体そのものであり、それはつまり不在なのだから。

 

2、 ネサンス期の芸術理論における「真実」:自然の模倣

2.1真実の重視

ルネサンスのネオプラトニズムは、芸術の質として「真実」に価値を置いた。つまり、ある芸術が本来的な理想をいかに忠実に表象するかという点をその地位の基準としたのだ。

アリストテレスとホラティウスがこの観点から最も忠実だとみなしていた詩と劇は、より優れた芸術だとみなされるようになった。そして、ルネサンス期の芸術理論の主要テーマは、本来的な理想を表象する能力において、絵画や彫刻という視覚芸術の同等性を論証することに夢中であった。建築は再現芸術ではないことでこの観点からすると他の芸術と比べて不利な立場にあった。

 

2.2 真実への疑い

ヴィトルヴィウスの権威ではなく、私たちの理性に従うべきなのだ。この議論は建築に対しては見かけ倒しにすぎなかったが、――自然科学ではないのだから――にもかかわらずそれは納得できるものであった。

 自然に対する忠実さへの不満の二点目の理由は、哲学における発展に由来していた。十八世紀後半に至るまで、美と道徳は独立したものとしては見なされていなかった。プラトン、アリストテレス、そして続く全ての西洋哲学において、美と真実は共存しているだけでなく、互換可能な概念でさえあったのである。この見方は、一般に近代美学の父と見なされているシャフツベリー卿によって十八世紀初頭に繰り返されている。「この世界で最も自然のままの美とは、誠実さと道徳上の真実なのだ。というのも全ての美は真実だからである。」

同様の記述が十八世紀の芸術に関する著作にはあふれていた。カントの『判断力批判』(1790)によって初めて、美学が道徳や倫理といった概念から別の一つの学問領域として決定的に確立されたのである。カント以降、真実の観点から美を語ることは哲学上の罪であり、仮に大部分の芸術についての著述家(writerの訳語)がカント哲学の詳細に対しては無知なままに留まっていたにしても、その影響によって、真実は概してより厳格な概念になっていった。道徳と美の間の境界はしばしば脅かされることがあったけれども、「真実」が以前よりも排他的な領域へと変わったのは疑いのないことであり、芸術における真実と欺瞞はもはや穏やかに共存することはできないようなものとなったのである。

 

3、構造的真実

3.1 Lodoli, C 1690-1761

生涯の大部分をベニスで過ごしたフランチェスコ会の修道士だった。ロドゥーリにとって「真実」が重要であることには同意している。ロドゥーリの合理的な原則は、建築を「機能」と「表象」の二つの部分――すなわち、建造物の構造的で静的な特性と、その素材、つまり目に見えるもの――へと分割することに基づいていた。

真実を伴って初めて、理想的な美が認められたのである。しばしば、彼はこのように言うだろう。どれほど水晶に彫面の仕事が多くなされていたにしても、それは本当にカットされたダイヤモンドの横に置かれた時には、精巧な模造にしか見なされないだろう。また、その頬の色が朱色のパウダーによるものであれば、その女性の頬が、血色が良いとは決して思われないだろう。そして、人手による仕事だと分かっている偽物の髪を美しいと呼ぶことはないだろうし、それは、綺麗な髪の毛をまねたかつらが美しいと判断されないのがもっともであるのと同じことである。このようなイメージを建築へも適用しながら、彼は大理石をあたかも木のように使うことは、お金を無駄遣いするのと同じだと考えたのである。[……]どうして私たちは偽りない科学的なそれ自身の形態を大理石に与えることが、より魅力的であるかどうかを探求しようとしないのか。そうすれば、理知的な観察力に対しては歪んだと映るようなものであっても、そうは識別できなくなるだろう

 3.2  Laugier, M-A『建築試論』1753

ロドゥーリと同様に、ロージェ神父も建築からバロックの過剰さを取り除き、合理性によって達成される一般原理の確立を望んでいた。実際、ロージェ神父の原則は、「自然のままの」「自然のままの」という言葉は、ロドゥーリの「真実」という言葉からさほど離れたものではなく、

3.3 Quincy, Q

カトルメールの主張は、全ての彼の先人たちは、建築の「自然」な原型を原初的な木造小屋そのものと考えたところに誤りがあるというものだった。むしろ、カトルメールが述べていたのは、「自然」とは理想的な概念であり、物的な対象――そこに木造小屋も含まれているのだが――とは単にその概念の表現に過ぎないというものである。建築を通じた自然の模倣とは、木造建築の細部を石へと模写することにあるのではなく、その木造の細部が偶然にも表した自然の理想を石へと翻訳するところにある。(註7)したがって、ギリシャ建築は、真実である(なぜなら、その理想の翻訳を忠実に示していたからだが)と同時に、虚構でもあった。

 

紛れもなく、私たちが建築における模造の快を享受できるのは、この幸運な欺瞞を通じてなのだ。このような欺瞞がなければ、全ての芸術に伴い、その魅力でもある快が存在する余地は無いだろう。私たちを虚構の、そして詩的な世界へと誘うこの騙されているかのような快によって、私たちは剥き出しの真実よりもむしろ偽装された真実を好むようになる。私たちは、強い押しつけではないにしても、芸術に虚偽を見出すことを好む。そして、私たちは喜んで欺かれる。なぜなら、その状態は私たちが望む間しか続かないし、いつでもそこから自らを解き放つことができるからである。私たちは、虚偽と同じように真実を恐れている。つまり、誘惑されたいとは思っているけれども、誤った道へと導かれるのは嫌なのである。そして、私たちのこの人の心についての知識に基づいて、あのように親しみがあり、忠実な嘘つきである芸術が、その領域全体を創設したのである。主人をほめてご機嫌をとるのが無類に上手い彼らは、嘘をつくことと同じように真実を話すことが危険を伴うことだと知っている。彼らの巧妙な手口とは、常に真実とも虚偽とも親密さを保っているところにある。(「建築」、1788、p.115)

3.4 Schinkel, K.F.『教科書』1852

の一節の中で、構造こそが建築家に真実を提供すると見なした。「建築とは建造することである。建築においては、全てが真実でなくてはならない。いかなる構造の偽装、隠蔽も過ちである。適切な責務とは、建造物の全ての部位を美しく、その特徴と調和するように創りだすことである。」

3.5 Pugin, A.W.『尖塔様式、もしくはキリスト教建築の根本原理』1841

まさにその表題において、その著書が議論の対象とする領域を示している。このピュージンの著書は、十八世紀末にイタリアやフランスにおいて発展した構造的真実の概念を英語圏に紹介したことだけでなく、最初にゴシック建築と構造的真実の概念とを関連づけたのが彼であったという二点において意義深いのである。

ピクチャレスクなゴシックを通して犯した欺瞞に対するピュージンの強い批判は、単に彼らの構造的な非−真実(untruths)に対しての議論だっただけではなく、社会の荒廃がそうした偽りの建築を生むきっかけであろうという道徳的な議論でもあったのだ。

3.6 Violet-le ?Duc 『建築講話』(1863)

序文において彼が説明するように、この研究の趣旨とは、一つのシステムや様式を他のものに対して奨励することではなく、むしろ「真実の知識」を得ることにあった(vol.1、7)。十九世紀建築が失敗したこととは、「要求及び建設方法と形態との調和」という真実の原理を軽視した点にあった。

いわゆる建築の原則という恣意的な美的基準よりも、むしろ彼は、「幾何学と計算に基づいた原則、すなわち、静力学の原理の精緻な観察に基づく原則は、自ずから真実の表現、つまり誠実さを生じさせるのだ。」(vol.1、p.480)と提案している。

4、表現的真実

4.1 Goethe, G.W.von 「ドイツ建築について」(1772)

建造物の本質、もしくはその制作者の精神の表出として「真実」とをとらえるという考え方は、十八世紀後半のドイツにおけるロマン主義運動の産物であった。その最初の顕著な例は、若きJ.W.ゲーテの情熱的な随想「ドイツ建築について」(1772)に表れた。ストラスブール大聖堂での経験から、ゲーテは、「例の軽薄なフランス人」であるロージェが建築の起源として提示した説明を退けるに至った。「汝の結論は一つとして、真実の領域へと昇華することはないだろう。すべての結論が、汝の論理体系のうちに留まっているのだ。」ストラスブール大聖堂に、ゲーテはその石工であるアーウィン・スタインバッハの際立った才能が表現されていると感じており、大聖堂に真実を与えているのはまさにこの才能の表出であると見なした。建築の起源は、理念化されたプリミティブハットなどにはなく、むしろ、象徴的な形態を生み出そうという人間の本能的な意志にあるとゲーテは提案していた。彼が述べるように、人間は安心な生活が確保されるようになるや、「息吹を吹き込むものを捜し求める。」ゲーテがストラスブール大聖堂にみたのは、この精神、すなわち象徴的形態を創出しようというアーウィン・スタインバッハの天分の表出だったのである。

4.2 Ruskin, J 『建築の七灯』1849 『ヴェニスの石』1853

建築作品がその作者の精神や性格をあらわにする方法、つまり、どれほどその作品の質が作品を産み出す作者の活き活きとした表現にかかっているか、についての議論を展開したのだ。(1849、chapter V、§I)しかし、ラスキンは決してこの性質を記述するのに「真実」という言葉を使うことはなく、むしろ常に「生命」や「生きた建築」という用語の使用を好んだ。

 

5、歴史的真実

 5.1 Winckelmann,  J.J

ヴィンケルマンは、ギリシャ芸術の様式は、素朴なものから、高貴なものへと、そして最終的には退廃的な段階へと発展したと主張した。そして、芸術はある特徴的な形式に従って発展する

5.2 Hegel, G.W.『美学講義』

どの芸術もその分野が花開く時期、そして芸術の一分野として完璧な発展を遂げる時期を有し、この成熟期に前後する歴史を持つ。なぜなら、諸芸術全ての生産物は精神の所産であり、それゆえに、自然の生産物とは違って、このそれぞれの領域において突如として完全になることはないからである。逆に、諸芸術は、その起源、進展、成熟、終焉を持ち、成長し、花開き、そして朽ちていくのだ。

建築は、全ての他の芸術分野と同様に、ヘーゲルが名づけたところの象徴的段階から古典的段階、そしてロマン主義的段階への進展を経験していたのだ。ヘーゲルの、この枠組みの活用方法までは触れないけれども、ヘーゲルが歴史過程を通底する真実を明らかにする特別な能力を芸術に与えてからは、それが属する歴史的段階の特性に一致していない作品は全て非歴史的であるどころか、非−真実であるとまで判断されうるのは明らかである。

5.3Fergusson, J. 『芸術における美の根本原理に関する歴史的研究』1849

科学においても芸術においても、偉大で素晴らしい業績を成したいかなる国家――それはどの時代、どの地域であろうと――が用いた唯一の方法は、過去を振り返ったり、真似ようとすることなしに、着実で発展的に経験を統合していくことによっていたのである

ファーガソンは、十六世紀に至るまではこれらの原則は有効であったが、それ以降に失われ、模倣が一般的なものになったと主張した。歴史的な視点から見たとき、十九世紀の建築は失敗だったのだ。

 

真実の芸術のいかなる規則も私たちの〔時代の〕芸術には適用されないだろう。そして、全ての美の真実の形式を軽視したのは、まさに国の歴史なのである。そして、それは最も実用主義的な要求を満たすことのみに熱心であった。そして、それゆえに、まるで猿のように模倣することに満足していた。彼らは、自分たちが何をしているのか、何故そうしているのか、そして昔の人々が知性を使って、私たちに比べれば半分の手段とひどく粗雑な素材から一体何をつくりあげたのかを理解することはないのだ。(1849、p.182)

 

『世界建築史』に所収された第三巻「建築における近代様式の歴史」はルネサンス以降の建築のみを扱っており、ここでファーガソンは最も明白に歴史的真実を適用した。この時期に真実を扱った全ての論文の中でも最も素晴らしいその序文は、以下の宣言とともに始まる。「それは言い過ぎなのかもしれないが、宗教改革以降のヨーロッパにおいて、完全に真実を語る建築が建てられたことはないのだ」。真実の建築とは、以前に彼が定義したように、「その建築を使用する人々の要求を、最も直接的な方法で満たすという目的だけのために整えられたもの」なのである。世界建築の中で真実であったのは、エジプト建築、ギリシャ建築、ローマ建築、ゴシック建築のみだったので、ファーガソンは驚くべきことに、人々に以下のことを願いながら、偽りの建築にその巻のほぼ五百数十ページあまりを捧げている。