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第八講お題

長野市内の以下の建築のどれか一つ、あるいはいくつかをとりあげ親父的であるとして批評せよ。どの一つもあなたにとっておふくろ的であるならば、あなたにとっての親父建築を長野市内に探しそれを提示したうえで、親父的であることを批評せよ。善光寺、トイーゴ、門前プラザ、長野駅、東急デパート、日赤病院、信州大学工学部。

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 この中にしびれるほどの感動を受けるものはあっただろうか。これは芸術でかつ建築だというものを生みだすのは至極至難の業であるのは言うまでもないのでしょうが、芸術というものの持つ意味を考えてみるとわかるような気がします。

 つまり、わかりやすいように言い換えると、その土地のシンボルとなりうるものをつくろうとすることと同じように取れるのではないかということです。先生も仰ったように、シンボルとなりうるものをつくるのは難しいですよね。TOiGOやもんぜんぷらざや長野駅などは、少なからずそういったものを人為的に狙っているのではないでしょうか。

 しかしながら、それらからは不要なものを断固拒絶するほどの頑固さは感じられません。むしろ不要なものが点在することで今の形に「完成」したとも言えます。

 ではこの中で私が、何からならそこまでの頑固さを感じるかというと善光寺です。余分なものは置けない、というよりも置こうと思えないほどの「重み」やシンボリズムがそこにあるからです。キッチリきっかりと完成しているのです。そういった観点から見ると、篠原一男は善光寺をつくったのだと考えられるのではないでしょうか。

私は今回の親父的建築、おふくろ的建築という考え方で分類するのならば上記の中では善光寺が親父的建築であると考える。

基本的に神社仏閣、寺院なんてものはそれぞれ昔からの伝統や歴史などをもっているものでその雰囲気にそぐわないものを置くべきではないと私は思う。特に善光寺なんて生きているうちに一度は行ってみたいと言われるぐらい由緒あるお寺だからその傾向は強いと思われる。

話は変わるが私の実家の近くに中越地震の影響を受けて建て直しをした寺がある。そのお寺の鐘は定時になると機械が勝手に鳴らすような仕組みになっている。私は信仰心があるわけでもないし神社仏閣の良さがわかるほど大人でもないので便利になって良かったじゃないかとしか思っていなかったが、昔からの檀家さんやお年寄りの間でかなり不評だったらしく一週間ほどで機械は外されてしまった。

つまりそういうことなのだとおもう。お寺とは昔から神聖な場所であって人々の精神的なよりどころであるからして時代の変化に影響を受けない。これから先もお寺の雰囲気や景観というのは変わることがないと思う。以上から私は善光寺が親父的建築だと考えた。

  この五つの建築を見たとき私が親父建築として感じたのは善光寺でした。親父建築とは、他者や異物の混入を嫌う、時には芸術的で、時には攻撃的で親父のこだわりがあるもの。
 善光寺は多くの参拝者を受け入れ、様々な宗派の人々に信仰されてきたという性質は、非常にオフクロ的であると思われる。神社仏閣はそのような性質をもったものがほとんどである。
 しかしその一方長野市のシンボル的な建物であり、長野市に観光に来たらほとんどの人が訪れるであろう建物という印象もある。そして善光寺の周りにはその存在を邪魔するような建物は建てられていないし建てられようともしていない。そのような点で他の神社仏閣に比べ親父的な要素が強い。
 先に述べたことを踏まえ、善光寺の親父性・オフクロ性を考えた。善光寺は変化しない。周りの環境や時代の変化が善光寺の親父性を変化させる、その関係性のなかに親父性・オフクロ性があるのではないか。親父性とオフクロ性は可変的なもので、今の善光寺は親父性が強い状態にあるがオフクロ性が強くなる可能性もあるという結論に至った。

 昨今頑固親父を見かける機会は減っている。それは何もかも認めず受け入れないという頑固親父から寛容さを持ったオフクロ的親父が増えた結果である。かといって規律や厳格さを親父が失ってしまったというわけではない。
 建築で親父的だと思われるのが神社やお寺である。規律があり、厳格さを持っている。そして何よりその空間には人を圧倒する力があり、それに従わざるおえない。例えば仏様の前には畳があり正座しなければならない。ソファーなんかを置くわけにはいかず、日々の積み重ねによる歴史がそれを許さない。また神社は神様を祭るところであり人が入ることを前提としていません。 
 それに対して善光寺は開かれた寺として有名なようにだれかれかまわず受け入れる寛容さを持っています。当時、参拝することを認められていなかった女性も受け入れていました。また、人が参拝るために本堂も増築されたています。しかし、善光寺もお寺であって、先ほど述べた親父的な要素を持っています。
 つまり、善光寺は寛容的でありながら親父的な要素を持っている。言い換えるとオフクロ的な親父建築と言える。

 講義の最後に先生が仰っていたように、建築というのはどれも親父的なオフクロ建築であり、オフクロ的な親父建築だと思う。上記の7つの建物に関しても、いきつく先はどちらの要素も持ち合わせているという結論になってしまうが、ここでは信州大学工学部の親父な一面について取り上げたい。
 私たちが毎日通っているこの工学部には、いくつかの種類の建物が混在しているように思う。勉強するための講義棟や図書館、研究のための学科棟。これらの建物は目的を決められた親父建築である。これに対して食事をする食堂、放課後を過ごすサークル棟は休み時間を過ごす場所であったり、課題をこなす場所であったりと、比較的自由なオフクロ建築であるだろう。
 さて親父だと言った講義棟だが、中に設置されている机はとくに有名なデザイナーのものというわけではないだろうし、細かいこだわりがあるわけでもないと感じる。設計者はそこにオフクロ的な気持ちを込めたのかもしれない。しかし教室に置く机は大体決まっているもので、設計者が意図しなくともそこには親父的な空間が生まれてしまう。横長で椅子が繋がっている机は動かすこともできず、前をむいて勉強せざるを得ないだろう。このことが私が講義棟を親父建築と感じた理由である。
 重箱と平皿の話とも関連するかもしれないが、使う目的の決まっている建物(病院とか学校とか)は親父建築になりやすいと思う。それは単に内装に使われるものが大体決まっているから、というのもあるが、目的を意識しすぎている私たち人間の心理からくるのかもしれない。
 

親父的建築をその空間を作った意味を損なわないために、それ以外を拒絶すると私は認識した。そこで、信州大学工学部を考えてみたいと思う。
現在の大学は地域に貢献するとか、地域に開かれた大学を目指している所があるように思う。実際、一般の方も講義が受けられるようなシステムが信州大学にはある。では、それがおふくろ的な建築とつながるのかと言うと必ずしも一致しないと思う。なぜなら、大学とは学び研究する場所、言いかえれば、教育されながらも教育の元を探す場所であるからではないだろうか。そうであるなら、信州大学工学部を考えるに、そこに立つ建築物はそこで想定される作業に適した内部空間を有しているだろうし、その作業のためだけに特別に作られた空間を有している。
では、その建物が目的以外のもの、この場合はその建物の目的を持たない人、を排除するのかと言うとそうでもないように思う。単純な話、工学部や他のキャンパスの建物にはその目的のための空間が存在するだけで、排除する機能はついていない。つまり、その建物を必要としない人は、中に入る必要も興味もない。必要や興味がないなら人は極力無駄を避けるだろう。そう考えれば、目的を持った建物は目的を持たない人を排除しているわけではなく、拒絶しているのではないだろうか。
信州大学工学部には自分が入ったことのない建物がたくさんある。だが、それが悪いのか良いのかは自分本意ではよくわからない。ただ、その建物を目的を持って使用する人にとってみれば、親父的建築である方が良いと思う。それは、その建物が目的のない人をある程度拒絶してくれるからである。

なにかの特徴を比較するとき、深く追求すればするほどその境目があいまいであることに気付く。今回の関係性の例となっている親父的とお袋的であってもそれは言える、どんなに厳格な親父もお袋的な面を持ち合わせているかもしれない。
その中でも強く親父的な印象を受けた(日赤)病院について考えてみる。
病院という場所は怪我や病気にかかり、普段とは違う状況になったときに訪れたり、場合によっては生活をする場所である。そこには普段生活をする場よりも厳しい規律が存在しているはずである。不衛生なものがあってはならないし、それを連想するものもよくないだろう。白衣など病院から白という色が連想されるのもそのためだ。
そこには患者の回復という一つの大きな目標があり、医者、看護師、患者、見舞いに訪れる人、病院の中にそのような目的を持たない人はおそらくいない。さらに言えば用事がないのに病院に入る人はいない。  
また誰かのお見舞いに行くなどの用事があってとしても、病院に入るのには少なからず緊張を感じる。それは普段の自分の生活と離れた病院に対して近寄りがたいイメージができているからではないか。
そのようなイメージが親父的建築をより排他的なものへと近付けているのかもしれない。

この5つの中で私が親父的建築だと思うのは善光寺です。
基本的にお寺というものはその信仰に即したあるいはその土地の伝統や文化に即した設計がされているのではないかと思う。そういう意味で余分なものが入り込む余地がないのではないかと思う。善光寺は特にその傾向が強く、長野市においてシンボルのような存在になっている。わたしはそこに頑固さのようなものを感じ、善光寺が親父的建築なのではないかと考える。

 上に挙げられた選択しの中で自分が親父的な建築であると思うのは善光寺と日赤病院です。
 善光寺は雰囲気としては開放的ですが、お寺という仏を奉ることを目的とした特殊な場所であり神聖視されてきた場所である以上以上そこに置くことができるものは限定されてくると思います。また、日赤病院は病院という病を治療することを目的とした施設であり、衛生面のことや沢山の人がともに生活しているということを考えるとその場所にあるものは制限されてくるものだと思いました。
 逆に門前プラザやトイーゴなどは多種多様な人々が訪れることができるのと同じようにそこに配置できる物の自由度は大きくオフクロ的な建築だと思いました。

僕は父親建築というものはもうその建物が完成されていて変化の仕様がないものだと感じたので、そういう観点で分類すると日赤病院は父親建築に分類できると思う。
病院というのはとても機能的な建物で、動線計画やプライベートの確保などから診察室や、ナースステーションさらにベッドの配置まで考えぬかれた綿密な計画の上で設計されたものです。病院というのはどこでも似たような形ですが、あれがベストの形だから似たようになるんだと思います。僕は日赤のそういった計画の完成度の高さは父親建築だと思うし、その完成度の高さが父親建築の魅力の一つだと思う。
僕は冒頭で父親建築と母親建築の説明を受けたときあらゆるものを抱擁的に包み込める母親的建築のほうが住んでいる人のニーズに対応できて住む人にとっていいんじゃないかなと思ったのですが、設計時に綿密に住む人のことを考えて作られた父親建築はとても住む人にとって暮らしやすい建築なのかなと思いました。

これらの建築物の中で、私は善光寺こそ親父建築なのではないかと思った。まず、他の様々な店舗が入っていて改装も容易くできるビルなどは親父建築ではないと思った。そして、宗教的なイメージからもお寺全般が親父建築であると感じた。
本来、お寺はお坊さんが住み、仏教信徒が来る場所である。中に置く家具や、住む人の服装まで建物が指定しているような気がする。善光寺の中に、プラスチック製の看板がたっているが、それさえ違和感がある。こういうのを排他的というのではないかと思った。善光寺は、増築などされて多少変わってきたかもしれないが、歴史的に何年もあの場所に建っている寺である。外観も美しく、威厳がある。
実際は、善光寺は特にそうであるが、仏教徒ではない観光客も受け入れてくれるし、境内にはプレハブが建っていたりもする。関係ないかもしれないが、私の通っていた高校はミッション系の学校で、聖堂があり、ベールをかぶったシスターがうろうろしていたのだが、数学の先生の家はお寺で本職はお坊さんだった。
現代の日本での仏教やキリスト教は昔ほど排他的ではなく、寛大になっているのだと思う。しかし、善光寺は地域のシンボルであり、シンボルというのは不変的でなければならないと思う。長い間、威厳を保ち続けてる善光寺は親父建築であるといえる。

僕はおやじ的建築物といったら、寺、城などの古い建物を思い浮かべます。なので今回は善光寺のもつおやじ的性質について考えていきたいと思います。
 なぜ、古い建物がおやじ的というイメージを持つのか、と自分自身を考えてみました。古い建物というのは今までの長い年月で建物の性質が決められてきたのだと思います。周りの環境、住んでいる人々によってその建物の目的、どういった人が集まるのか、が固定されていき、ある種の安定みたいなものが出来上がるのではないでしょうか。それ故に安定をみだすものを入れないように、と排他的になった、という考えに至りました。善光寺の場合は信仰という目的が最初からあったためそれ以外は淘汰されてきたのだと感じます。 
これはそういった目的があるか否かの点では平皿建築と重箱建築の関係と似通った部分があると思います。平皿とオフクロ、重箱とおやじ、が同じ性質を持つと考えます。善光寺を見ても重箱の要素が見られます。いずれにせよ目的の在り方は、おやじ的、おふくろ的を分ける要素に少なからず当てはまると考えました。

長野市内の建築の親父建築で真っ先にピンときたのが善光寺である。
善光寺とは、長野の観光名所の1つ、いわば長野のシンボルと言っても過言ではありません。
あの、どっしりと建っていて勇ましい構え、何年もの歴史が刻まれた柱、まさに威厳のある親父という感じがします。親父建築と呼ばれるのにふさわしいものだと思いました。
親父建築とは、歴史があり、誰からも認められる絶対的である建築のことだと思いました。

上にあげられた例で、親父建築だと思ったのは、病院である。
というのも、病院とは目的が治療ということで、かなり明確なものである。そこには余計なもの、たとえばスポーツショップのようなものつまりは邪魔者は必要ないのだ。これは、頑固で厳格な建物につながると考えた。
逆に、おふくろ的建築は優しく包み込むような建築で、そんな病院があったらどんなものになるのか。治療目的以外に病院にいくような機会が増えることになり、病院は確固たる使用目的がぶれる。病院は行くだけでなにか緊張感ある空間のほうが適しているように思える。
やはり、建築にはそれぞれにあった建築であるべきなのではないかと思った。

私が親父建築だと思ったのは長野駅だ。
長野駅は長野市の玄関口ということもあって多くの人が利用する。そこで利用者が快適に長野駅を使うためには当然効率的な空間が求められる。そして効率的な建物を目指していくと次第に無駄なものは省かれ、必要なものだけが必要な場所に配置されていく。ベンチは動かすことができないし、改札の場所も変わらない。駅員さんもいつも同じような場所に立っているし、レールの上に乗った電車は正確な時間、位置でホームにやってくる。
篠原氏も言うように無駄な空間は美しいが、無駄な物体のある空間は美しくない。駅の中を見渡してみると先ほども述べたように無駄な物体は排除されているが、それと同時に無駄な空間もあることにも気づく。長野駅で言うと改札の前の吹き抜けになっている場所がそれだ。特に何があるでもなくだだっ広い開放的な場所なのだが、私はあの何もない場所が気に入っている。
親父建築は無駄な物体がないゆえに一見とっつきにくい建築のようにも感じるが、無駄のない空間には目では見えない包容力があるのではないだろうか。

一口に親父といっても昔の映画や漫画に登場するような頑固なイメージだけでなく友達のようにように接するような親父もいれば母親の絶対王政の下にいる親父もいるだろう。
ここで私が思う親父は背中で語るような寡黙なイメージです。そのようなイメージに近いと思った建築物が善光寺です。

以前訪れた時、どしっと構えて建っている善光寺にどことなく安心感を人に与えているように感じました。それは普段から何か特別なことしているわけでなくただそこに親父がいるだけで家族に安心感を与えれる絶対的な存在に似ていると思いました。それは親父をつくりあげてきた今までの生きてきたすべての出来事や経験の積み重ねであるように善光寺にもこれまでの長い歴史によってつくりだされたからこそ絶対的な存在感があるのだとおもいます。
そういった意味で私は善光寺が親父的建築だと考えました。

 私は、建築物はお袋的建築と親父的建築の性質をどっちも持っているものが多く存在すると考える。例に挙げられている建築物もどちらの性質も持ち合わせていると思うが、その中で親父的性質が強いだろうと考えて私が今回選んだのは善光寺だ。
 善光寺は歴史と伝統のある古い建築物で、増築や改修などはされてきたが、堂々としていて重々しいその感じはきっと昔から変わらない。この見る者を圧倒するような力強さが親父的建築たるものだと思う。
 ただ今は善光寺は解放されていて、多くの人が集まる。もうすぐくる年末年始もすごいことになるだろう。こういういろんな人を集めるところからお袋的建築の要素も持ち始めてきているのだと思う。
 善光寺など寺院は、いくつもの時代を経験してきた歴史のある親父的建築だ。しかしこれは時代の流れで変わっていくものなのかもしれない。

 私は例の中で善光寺が親父的建築だと思います。
 他の例とは種別が大きく異なる善光寺が持つ空間は日常とは距離を置いたものでそこにはどんな俗物も許されないような厳正さがあると思います。昔から地域の安全を願うシンボルとして、心のよりどころとして変わりゆく時代の中で不変的に存在していた崇高さや、目的が狭い特別な範囲に限定されているので使用する側に不要な想像をさせないために、親父的であると感じるんだと思います。
 しかしこれは特別な場合においてであり、日常よく使われる建築の空間の許容度を左右するのは窓だと思います。
 窓は建物の外と中を繋げるものであり、外部の影響を内部に取り込むものなので「開放的」という印象を加え、内部に配置するものも重い暗い印象のものではなくて、軽い明るい印象のモノのほうがふさわしいというような想像をさせて自由度を下げてしまいます。包容的な内部空間は内部に置かれたものに依って空間が決定されるものならば、他の影響に対しては強く排他的でなければならないと思います。

上にあがっているすべての建物に親父建築の要素があると思う。
効率性を考えると、ある程度ここは何をする場、と決めていなければ多くの人に利用されるスペースは成り立たないのではないかと考えた。少数の決められた人が使うスペースであれば、規律のないオフクロ的建築の方が効率性がいいときもあるのかもしれない。だが、上に挙げられている建築では親父建築の要素がないと、明らかに都合が悪い。
しかし、親父建築が集まって、オフクロ建築になっていることもあると思う。そのよい例が信州大学工学部だ。地域の人たちは親父建築にあたる空間の中(講義棟)には入れないが、オフクロにあたる空間(敷地)には入ってこれる。つまり、一見親父建築に見えるが、視野を広げてみてみるとオフクロ建築といえるのである。
建物は敷地全体を含めて建築といえる。それなので、建物は親父、建築はオフクロというものも存在し、またその逆もありうる。互いのよさを出し合えばバランスのよい建築がつくれると思った。

 親父的建築が「独自の色に、別の色を入れることを嫌う建築物」と解釈するのであれば、上記の中では善光寺がそれに当てはまると思う。
 というのは、まず善光寺には独自の色があるからである。和であり、歴史的建造物でありそこには厳かな空間が存在し独自の色となっている。一方、駅や病院、デパートなどは、多くの人が利用する施設であり、それゆえに雑多な色を含んでいると言える。むしろ、雑多な色を含んでいなければ、多くの人に受け入れてもらえず、用途を果たせないのである。
 また、私の完全個人的な美意識において善光寺を見たとき、そこには別の色は入れたくないという気持ちになる。古民家等も再生されたものを見るとき、なにか新たな色が入っている民家よりも、色はそのままで使い勝手等だけを良くしてある物のほうを好む。つまり、古民家再生という行為には同系色のより良い色を付加することは必要だが、設計者の「これをしたい」という新しい色はいらないのである。
 こうして考えてみると長野には多くの親父的建築が存在すると思う。そして、このような建築物は現代に少なくなってきていると思うので、そのような建築を知り、学べる環境にあることはとても良い機会に恵まれていると感じました。

親父建築の定義は「排他的で、他者、異物の混入を嫌う」だが、この定義に則しているのは善光寺だと私は思う。善光寺だけでなく、歴史・伝統が伴っている神社仏閣・寺院は親父建築に属していると思う。善光寺の目的は限られていて、その他の目的は受け入れない。建築的に見ても、親父建築の特徴であるプロポーション・均斉の美学、形式性の美学というものが見られる。内部においてもどんな物をおいても良いというわけではない。
 今日は親父建築とおふくろ建築の要素が合わさった建築が多く存在している。使用目的が限られていて箱型の親父建築要素を持ちながらも、そこに置く家具は特にこだわりはないなど、どこかおふくろ建築要素も併せ持っている。そんな建築が多いなかで善光寺のような完全な親父建築はとても貴重な存在になっていると感じる。親父建築は一つの物事に集中できる環境にあるため、閉鎖的な感じを受けるが、おふくろ建築とは一味違う包容感や安心感がある。篠原一男をはじめとする親父建築を好む建築家は、異常なこだわりをもっているが、そのこだわりは親父建築が持つ他の建築にはない特徴を、存分に発揮するためなのかもしれないと思った。

 建築家は皆、自分の建物に少なからず親父的こだわりを持っていると思う。自分の作品という意識があるから、それを壊してしまうかもしれない人や物の混入を嫌がるのも理解できる。ここで明らかにしておきたいのは、人や物の混入を拒否している親父の正体は、建物そのものではなく、自分の作品へのこだわりを守ろうと頑な建築家なのだということである。
 善光寺は親父的であるか。お寺である以上、人が集まることは想定されていただろうから、当時はオフクロ建築であったと思われる。しかし、現在の善光寺が近代的なデザインなど受け入れるはずもなく、今となってはオフクロ建築とは言い難い。ただ、親父建築であるとも言いきれないのは、あの親父っぷりが、時代の変化によって後から生まれたものだからである。周囲が変わっていく中で、善光寺だけぽつんと変わらぬ形を維持し続けたら、頑固親父と化すのは当たり前である。本当の親父建築は、時代の変化の影響など受けないのではないか。建築家のこだわりは、建物が完成した時点で固まっているはずである。
 一方で、どれほど頑固な親父建築であっても、利用者が建築家の意図をくみ取れなければ、また無視してしまえば、それはいくらでもオフクロ建築になり得るのではないか。とは言うものの、それを許さないほど厳格な圧倒的親父建築も存在する。例えば教会がその例にあたると思う。教会では「空間の目的」と「建築家のこだわり」が、利用者に広く理解されているのではないか。教会では誰もが神に祈りを捧げ、誰もがステンドグラスと白い壁の美しさに魅了される。誰もその完璧で美しい空間を壊すことができないのだ。
 親父建築の頑固さが利用者に理解されにくいものである限り、そのこだわりを貫くには、人や物を排除して空間を閉ざすしかないのかもしれないが、頑固さが利用者に理解されるものであれば、空間を開いたところで壊れることはなく、そのこだわりは利用者によって守られるのではないか。

建物が機能的に完成されていて変更を許さない、あるいは必要性が無い、または美的感覚的に完成されていて、それを邪魔するものを許さない、あるいは必要性が無い、そういうものを親父建築だと理解したものとして選んでみる。

7つの例の中では「日赤病院」が一番親父建築に近いような気がする。 ただ、普遍的に病院ということで選んだだけで、実際に日赤病院に行ったことがないので、どのような設計でどのような運営をしているのか定かでない。 だから以前、母の入院中に付き添った東京の「聖路加病院」を例にとる。 長野市内でないが許して頂きたい。

聖路加病院は、機能的にも大変うまい設計だということに加えて、独特のステイタス感を打ち出しているように思う。 受付ロビー、吹き抜けを囲む長いエスカレーター、病室、全館に亘ってホテルのような雰囲気だ。  病室もほとんどが個室で、数少ない相部屋は順番待ちで入れない。 医師、看護士、スタッフ、皆接客?教育が行き届いている。 入院患者も皆、外国映画に出てくる紳士淑女のようなガウンを羽織っている。 これも病院から指示がある。

こうした雰囲気はある種、非日常的であり、病院に居るという悲壮感をも、和らげてくれるような、もしくは人ごとのような、自分の置かれた現実との距離が遠のいていくような所がある。 またそのような場所に居ると、背筋を伸ばし、襟を正してしまうのが自然だ。 もしこれが住宅だったらどうだろう。 日常の代表の住宅がピンと張りつめていたら。 でももし自分自身をエレガントな方向へランクアップさせたいと思ったら、親父建築を舞台に自分を躾けるというのも面白いかもしれない。

 7つの中で親父建築だとはじめ思ったのは日赤病院です。
 病院は患者を診断し治療を行う場です。その目的のため、医者達が働きやすく、患者達が安心して治療を受けられるように必要のない無駄なものはおかれたりしないと思います。病院を使用する人も多くは患者やその人の家族や知人、医者や看護師の医療スタッフに限られます。日赤病院でもこうであると思い、必要のないものはおかれてないでしょう。 
 病院内では内科、外科や麻酔科などの場所もきまってます。それぞれ内科には内科の、外科には外科の、といったようにある程度のかたちが決まっており、外科の仕事を内科でするなどといった事ははほとんど無いと思います。このようなところも排他的であると感じました。
 これらから自分は日赤病院を親父建築と思いました。

 善光寺は長野市にある建築物の中では親父建築の要素を最も強く持つ建物だと思う。まず中に入ると外との雰囲気の違いを感じずにはいられない。御開帳など人が大勢訪れている時は少々ざわつき、その厳格な雰囲気は和らぐが、人が少ない時に訪れてみると柱一本にも強い存在感がある。あの雰囲気の中で大声で笑ったり走り回ったりできるのは小さい子供ぐらいではないかと思う。
 そう考えると神社・寺院建築は全て親父建築になる。ここで一つ疑問が浮かぶのだが、神社・寺院建築は「他社の混入を嫌っている」のだろうか。
神を奉る空間という意味では人間が足を踏み入れることを拒否しているとも考えられるが、人間は古くから事あるごとにその空間に入り、祈ってきた。そこに居心地の悪さはなかっただろう。
 つまり神社・寺院などは厳格な雰囲気を持ち、外の空間と違う空間を中に作っている。そのためそこに入る人々は普段と同じ気持ちで軽く入っていくことはできない。強制的・絶対的に混入を拒否しているわけではなく、入ってくるものの行動に制限を与える建物が親父建築だと思う。
 おそらく親父建築は時代の流れとともに減少してきたのだと思う。使う人ではなく、建物が主導権を握るような真の親父建築を造ることができたらそれは建築家にとってものすごいことではないだろうか。

親父建築の人に対する排他的な部分から考えてみました。建築にはそれぞれ目的があります。その目的にそぐわない人は必ずいると思います。そういった人からみるとその建築は親父建築であり、またそういった観点からみると多くの建物は親父建築であるとも言えます。
 日赤病院には患者、お見舞いのひとしか訪れません。工学部について、建物の中にはいるのは学生と教師ぐらいです。長野駅は駅裏と駅表をつなぐ“道”のような機能もありオフクロ建築の一面もありますが、駅構内は利用する人しか入ることはありません。
 親父建築はどの建築にもある一面だと思います。そして親父建築の度合いは利用する人の幅が狭いほど大きいのではないかと思いました。駅については親父建築でもありオフクロ建築でもあり工学部や病院より親父建築の度合いは低いと思います。

 上記の7つのうち、私が親父的な建築であると思った建物は日赤病院である。病院はイメージからするとおふくろ的な印象を与える建物である。内装などもその場その時に適したものに模様替えをしたりなど病院の利用者のことを考えいつでも変化を与えることができる。だが明確的な目的、機能、要素がきっちりと決められている施設という面からは決まったものしか受け入れない親父的な印象が感じ取れる。

 病院内の部屋は病室、診察室、待合室、手術室などそれぞれ用途はもちろん動線計画もしっかり決められている。家具や医療道具などこそ事前に設置されていたりするわけではないがその部屋その部屋ごとに必要となるものは事前に決められている。これこそ親父的な決まりではないだろうか。

 また、前文で上げた内装の模替えなどおふくろ的な面でも決まりが存在している。病院での内装などは病院利用者の精神面を考慮し落ち着きある空間に仕上げる条件がある。そこからは少し弱いが親父的な面がうかがえる。

 目的が決まっていない建築物などはない。かといって他者を受け入れない建築物も機能面がおろそかになってしまい周囲からの親しみなどが低下してしまう。このことから建築物には親父的な面、おふくろ的な面の両方が備わっていなければならないことがわかる。これからの建築には親父建築、おふくろ建築と分類するのではなく二つで一つである夫婦建築を目指すべきである。そしてそんな建築物に支えられる私たちはそんな夫婦の子供のようなものではないかと思う。

この中で最初に長野駅が親父建築だと思った。長野駅は多くの人が使ったり、通り抜けたりする場所なので物を置くと邪魔になり、今ある切符売り場の場所も改札の場所もホームの場所も変えることができない。もし、物をおけば邪魔になるし、場所を変えれば利用者が迷ったり使いにくくなる可能性がある。そこに、これ以上変化を受け入れないという親父建築の定義である排他的という部分があると思う。このように、多くの人がある一定の理由で使うような場所は、物や変化に対してある程度排他的でなければならないので親父建築になり、それは利用者にとっては慣れて使いやすくとてもいいことだと思う。ただ、変化が無く今のなれた状態を維持し続けるだけでなく、利用しやすくしようと追求するのを忘れないようにして現在の状態をよりよいものにするということを考えることも大事なのかもしれない。だから、親父建築を維持しつつも、その一部は変化を受け入れていく必要があると思う。

 親父的な建物の代表例として「日赤病院」を取り上げる。この建物が親父的であることには病院という条件が大きく関係しており、以下にその条件についての仔細をまとめる。
 シンボルマークである赤十字の描かれたこの建物の外観は万人が即座に病院と判断するものであり、逆にいえば病院以外には見えない。そのためこの施設を利用する人間は一部に限定され、健全者が、例えば中のベンチで休む、自販機でジュースを買うなどの為だけにこの施設を利用することはまずない。ここに利用者の限定という排他性が生まれる
 また医療は専門性の高い分野であり機材等の設備も大規模なものが多いため、内部空間の各々の部屋にそれぞれ専用の機能を持たせることがほとんどである(手術室、調剤室、レントゲン室など、日赤病院のような総合病院にはこのように使用目的の決められた諸室が多く存在する)。そして病院内ではその使用における制限が多く、内部空間を自由に使うことは不可能といえる。言い換えれば病院の内部は病院として機能するためだけにあると言える。ここに空間の自由度を求めるオフクロ的な要素は一切ない。
 このように日赤病院は親父的であるのだが、これは日赤病院が病院であるための必要な条件であり、大型の総合病院になればなるほどこの傾向は顕著になる。なぜなら大型病院には多種多様な病人でひしめき合っており、健全者が意味もなく内部に入ることはデメリットしか生じず、病院側の人間にとってもただブラブラとしているような人間は邪魔でしかない。またいい加減な設備での手術は患者の命の危険につながることを考えれば、たとえ大掛かりな設備になろうとも必要十分な設備を揃えることは必須条件である。
 だが違う見方をすれば、病院は患者であるならば誰でも受け入れてくれる最高のオフクロ的存在だといえる。ここで日赤病院のような親父性を持つ建物を限定的オフクロ性と考えれば、専門性を持った建物はほとんどこれに当てはまることが分かる。

 善光寺は典型的な親父建築ではないかと思う。その理由は次の通りである。
 まず、善光寺の存在意義を考えてみる。そもそも寺というのは出家者が起居し宗教的儀式を行うという使用目的がはっきりしている施設である。また、国宝になっていることから、守られてきた、そして守っていかなくてはならない存在である。
 こうした点から、善光寺は参拝者や住職など、またその時代の背景に合わせて建物を変化させていくことは全くできない。例えば、善光寺の本堂に少しでもモダンな外国建築の要素を取り入れたり、畳の間に住宅に使用するようなソファーを置いたりすると参拝者が減少したり機能を果たさなくなり重要な文化財として扱われなくなってしまうだろう。これは重要文化財になっているような宗教的な建築物全般に言えることだと思う。
 こういった点では善光寺は他の干渉を許さない極めて親父的な建築物であるといえよう。逆に長野駅のような施設はクリスマスのイルミネーションを取り入れているし、東急デパートは利用者の変化するニーズに答えた空間にしていく必要がある。こういった点では母親的建築物の要素が強いのではないかと感じた。

すいません、名前を書き忘れたのでもう一度書き込みます。

僕は父親建築というものはもうその建物が完成されていて変化の仕様がないものだと感じたので、そういう観点で分類すると日赤病院は父親建築に分類できると思う。
病院というのはとても機能的な建物で、動線計画やプライベートの確保などから診察室や、ナースステーションさらにベッドの配置まで考えぬかれた綿密な計画の上で設計されたものです。病院というのはどこでも似たような形ですが、あれがベストの形だから似たようになるんだと思います。僕は日赤のそういった計画の完成度の高さは父親建築だと思うし、その完成度の高さが父親建築の魅力の一つだと思う。
僕は冒頭で父親建築と母親建築の説明を受けたときあらゆるものを抱擁的に包み込める母親的建築のほうが住んでいる人のニーズに対応できて住む人にとっていいんじゃないかなと思ったのですが、設計時に綿密に住む人のことを考えて作られた父親建築はとても住む人にとって暮らしやすい建築なのかなと思いました。

私は今の時代に頑固親父なんているのか、疑問に思います。今までにテレビや漫画でしか頑固親父を見たことはありません。でも頑固親父というのは私が考えるに、誰よりも他人のことをかんがえているからこそ成りえるのではないか、と思います。このことは建築にも言えると思います。
設計者には各々に信念があり、使う人に心地よく使って欲しいという願いがあると思う。そのため完成したものに手を加え、一番使いやすいと思い建てた作品を崩す必要はないと思う。
こういった点から一番頑固親父的な建築だと思うのは、善光寺だと思う。
きっちりと区切られ、寺というイメージから無駄なものをイメージさせないための配慮もされているためである。

 これらの建築物の中では、善光寺が親父的である。
 善光寺は、他の様々な宗教建築と同じように排他的な雰囲気を持っている。これは、建物の内装をちらりと見ただけですぐに感じることである。善光寺に、レンガでできた参道や、洋風の照明などがあったならば、興ざめも甚だしい。
 また、善光寺にかかわらずほとんどの宗教建築にいえることだが、「奥を見せない」という点でも、排他的であると判断できる。善光寺は法隆寺や伊勢神宮とは違って、参拝できるように手前に細長くなっている。これを、開放的だ、おふくろ的だというひともいるだろう。しかし実際は、一番大事な部分はひとめにふれないようになっている。例外は「御開帳」の時だけだ。
 こういった部分から、善光寺は排他的、つまり親父的だと判断できる。

親父的であるということは排他的であり、許容度が低いという点で、負の要素ばかりが目立ってしまうが、それは設計者の意図が確立しているということであり、同時に自信の表れでもあると思う。
親父的建築について記す。

善光寺が一番親父的建築だと思う。というか親父的建築であるべきものだと思う。
なぜなら善光寺とは宗教的なものであるからである。
宗教とは他者の影響に惑わされず、他者の意見を取り入れずに宗派を増やしていくものであり、自身の変化を許さないものだ。それと同時に他人を自分自身のカタチにはめ込もうとする。
以上の要素はすべて親父的建築にあてはまることであり、宗教的なものである善光寺も類にもれず親父的建築であるということだ。

 私が親父建築だと思ったのは善光寺である。何度か火事にあい再建されたり、増築されたりしているが、古くからの形が大きく崩されることはなかった善光寺には、その雰囲気を壊すようなものも置かれていない。
 善光寺へは何度か足を運んだことがあるが、その中のものは皆統一されていたように思う。それだけでなく、その周囲の建物や環境にまで影響を及ぼしている。
 建物だけではなく、訪れる人についても考えてみる。誰でも受け入れてくれるというと一見オフクロ的だが、そこに訪れる「誰でも」というのは参拝などの目的のために来ている人々であって、なんの目的もなく来る人はまずいないだろう。そう考えると親父的なのだと思う。
 建物の中に置くすべての家具などを自ら設計する建築家もいる。そのように建築家によって親父建築となった建物と、善光寺のように建物自体が持つ機能によって親父建築となった建物というように親父建築にも2種類あると思ったのだが、どちらにせよ親父建築というのは、洗練されたひとつの空間であるため、足を踏み入れるだけで世界が変わったように感じるものなのではないだろうか。

建築物は特定の利用方法がある空間があり利用者を限定する性質、個性を持った空間があり建物が象徴的になる性質を持っている。それが弱ければおふくろ建築であり、強いものが親父建築である。
限定、象徴といった性質は商店建築には必要だと思う。テナントならそこにどれくらいの年齢層が利用する店が入るのか等を考え、その店にとってメリットのある空間を造らなければならない。テナントでないなら客層を考え、その客層が寄ってくるような建物が必要となる。商店建築は客・店を限定し、且つ人を集めるためには象徴的でなければならない。ここでは最近建てられたトイーゴの親父性を見ていく。
 トイーゴはトイーゴSBCとトイーゴウェストにわかれていて、SBC側にSBC信越放送のオフィスが、ウェストに長野市生涯学習センターと複数の商店が入っているビルである。オフィスは当然SBCの職員が利用している。関係者以外は入れないようになっている。つまり限定している。しかしそのほかのスペースの利用者は不特定多数になる。トイーゴの前には中央通りと昭和通りの交差点があり、かなりの人が行き来している。だがトイーゴは利用者を想定し限定することができていると言える。客層は長野市中心市街地であり善光寺の門前ということから、働いている人、若者、観光客が利用しそうな店が入っている。女性や若者はおしゃれな洋服や雑貨店に、働いている人や観光客はレストランに入るだろうし、お年寄りや小さい子どもは飲食店以外利用しないだろう。また建物前面にポケットパークがある。そこには木が植えられベンチのようなモニュメントが複数ある。さらに大型モニターを設置し、歩行者や車からも目立つ広場ができあがっている。この空間がトイーゴを象徴的にしている。覚えやすく、見つけやすく、集まりやすい空間ができ、それは商店建築には大きなメリットであると思う。
 このように商店建築は親父的性質が必要である。多くの人が利用するからといっておふくろ的建築とは言いにくい。店は人を選んでいる事実があり、それに応じた建築物が自ずと必要になる。商店だけでなく全ての建築物は親父的性質が必要である。親父的であることは、建築家の存在意義であり、建築物の存在意義である。

僕が親父建築だと思うのは善光寺だと思う。
善光寺は年をたつにつれ人々が入ってこれるような変形をしてきたが、元々は仏を奉る神聖な場所であり、その仏は見ることはできない。他の者を寄せ付けないのだと思う。
寺自体には多くの人が出入りするが、その建物が建てられた本当の目的である仏を奉っているところに入れないというのがなんだかいかにも親父らしい。病院などは建てられた目的のためにほとんどの部屋や建物に入ることができるが、寺(特に善光寺)はその目的の部分に直接触れることができない。だから僕は善光寺が親父建築だと思う

親父建築、オフクロ建築について。これらの建物の中で排他的なイメージが強いのは善光寺である。善光寺は多くのお寺の中でも珍しい形態をとっており、長野を代表する観光の名所でもあり、プロポーション、象徴性、といった排他性を十分に持っているように思える。一方で、善光寺は多宗派を受け入れ、境内も一般の人に開放しているということも考えるとオフクロ建築のようにも思える。しかし、これを逆に考えて見ると、多宗派であるからこそ、一般の人に開放しているからこそ、別のお寺との違いが現れ象徴性を持った結果排他性が生まれるとも思った。お寺という建物は、建物があって、仏様がいて、お坊さんがいて、そこに加えて一般の参拝者がいて成り立っているはずなので、別の見方でみてみると、一般の参拝者もその建物の一部となっているから、一般参拝者はオフクロ建築に包まれている用でも、実際には排他性を生み出しているとも言える。善光寺の場合は特殊だと思うが、その建物を利用するさまざまな人々によってその建物が親父建築になりうる建築は自然と多様性が低下してしまうので、どんな人が使う場合にもそれが低下しないような建築が望ましいとも思う。

上に挙げられている建築物はどれも親父的要素とおふくろ的要素を含んでいるように思う。
その中でもとくに親父的要素が強いと感じたのは善光寺と日赤病院である。
善光寺のような寺や神社などは古くから存在しているものがほとんどであり、その古さゆえにどっしりとした親父らしい威厳をもっているように思える。また、立て直しをした場合でも何か新しいものを取り入れようとはせずそのままの形を保持しているのも親父的である。
日赤病院を含むどの病院も、病気の患者や見舞い人、病院関係者しか訪れることはなく、病室や手術室などの各部屋も目的を持たせて作られており、それ以外の用途で使われることはない点で親父的である。
逆におふくろ的要素も挙げると、善光寺は宗教や宗派に関係なくどんな人でも出入りすることができる点でおふくろ的であるし、病院の医療機器などは古くなったり新しいものができれば入れ替えるためおふくろ的である。
したがって、親父的建築とおふくろ的建築はあいまいなものになっており、分類するのは難しい。

僕は長野駅が親父的建築であると考える。駅が効率よく機能するためには電車の止まる位置、人々の動線など様々な要素を加味し、徹底して親父的な空間を目指すべきである。そしてその結果、頑固な親父的な建築になっている。
しかし、駅は一歩外に出て見れば違った側面も見せる。駅前の広場。あそこはこれといった明確な目的をもって作られた空間ではない。友達と待ち合わせをしたり、そのままそこで語り合ったり。キャラクターがプリントされたバスが展示されていたこともあれば、ギター片手に歌っている人もいる。つまり寛容なお袋的空間がそこにあるのだ。このように親父的建築の付近にはお袋的建築(空間)が対になって存在し、互いの欠点を補い合っているのかもしれない。

私は親父建築であると思うものとして病院を取り上げる。
病院は医療を提供し、病人を収容する施設であり、目的が非常に明確である。そのため建物は、その目的を果たすために追求されたものとして造られている。医療行為とは伝統的なものであり、その長い歴史のなかで病院も形を変えていき、文化遺産となったものも存在する。
このように病院には病院特有の美学があり、排他的な面もあることから、親父建築として捉えることができると思う。

 長野市内で親父的な建築だと思うのは善光寺です。
 
 親父建築とは設計者が設計するときからある空間のすべてを設計し、その空間において設計したものあるいは無駄なものを一切拒絶するような、頑固で包容性のない建築のことです。
 
 では、善光寺を見てみましょう。善光寺は初めて造られた時以来、何回も増築をされ時代とともに変わってきました。どんな人でも出入りできて、一見柔軟性があって、包容性もあるように見えますが善光寺のどんな点が親父建築につながるのでしょうか。それはお寺として設計されたことだと思います。したがって、この空間でできる行動は限ってきます。その限られた行動以外を行う人もこの建物を使用しなければ、ここに必要のないものも置かれていない。このように、自然と設計されたもの以外を拒絶しています。よって、善光寺は親父的建築です。
 
 この例から美学的なこだわりとは異なった理由で設計された親父的建築もあることが分かります。

私が親父的建築であると思うのは善光寺である。
善光時は古くからそこに建っている建物であり、宗教というものから統一された目的で存在しているものである。ほかの神社や寺院も同じことが言えるのだが、特に善光寺の場合はもともと建てられていた建物から増設して建てられており、その一貫された理念から親父的な頑固さが感じられたので善光寺を選んだ。

 挙げられた7つの建築物の中で、最も親父的なものは善光寺だと思います。それは善光寺が宗教建築であり排他的な要素を持つ建築であるという点からも言えますが、善光寺が独自の風格を保ったまま長野市に頑固に長らく存在し続けていることが大きな理由です。
 善光寺は頑固と言ってしまって良いのか悩みましたが、僕は長野市に街並みの中にドッシリと構え、現代に過去の名残である宗教というものを感じさせる善光寺は親父のような頑固さがあると思いました。
 しかし僕のように、宗教的な理由もなく善光寺を訪れる人は多くいると思います。そういった人々は善光寺をオフクロ的に見ていると思います。そして善光寺を目にして、肌で感じて初めて善光寺という存在に、善光寺の本質に気付かされ、善光寺が親父的な建築であることに気付きます。
 結局善光寺もオフクロあっての親父なんだなと思いました。本来の親父がそうであるように。

こんばんは。
坂牛研究室m1の加藤光です。今回のお題は、訳あって私が担当させていただきます。


今回のお題は、親父的建築に関して批評せよというものであった。
先ず、このお題に対するコメントを一通り読んだ感想として、内容が似通ったものが多いことが気になる。

今回のコメントで、おもに言われていたことは、親父的建築の特徴である排他性の要因として、1)制度的な限定(機能、用途、利用者の目的)、2)シンボル性・神聖性の2点のみだった。しかし、この人数がいて、この2点だけでは少々物足りないと感じる。

親父的建築の批評として、排他性は欠かすことのできないものである。そもそも、建築から排他性を一切排除することは不可能であろうことは、建築を学んでいる以上わかりきっていることなので、そこで今回は「その排他性をどう言い換えるのか?」ということに注目して読んだ。
そして、その読み替えを、さらに質料・形式・関係性(今日のお題は関係性であるが)に結びつけて述べられていれば、より面白く、かつ、建築的新規性の高いコメントになっただろうと思う。

これに関しては、自分以前のコメントを読んでいないこと、もしくは、自分以前の人のコメントにつられたことが原因であると思う。読んでいなくてかぶっているものは、読んでくださいと言うしかないが、自分以前のコメントとかぶっている人は、少し考え直してほしい。
コメントの根本のところが、かぶるのは仕方がなく、完全に変えろと言うつもりは全くないが、やはり、他のコメントと差をつけて自分の方がより良いものであると表現することは必要であり、それが先ほどの読み替えであり、比喩であり、さらには文章表現の簡潔さ(読みやすさ)であると思う。

ここまで、全体の感想を述べたが、その中でも、最も目を引いたコメントは高橋さんのものである。先ず、高橋さんのコメントは、なんといっても読みやすい。起承転結がはっきりとしているし、接続詞もしっかりとしているので、理解しやすい。
ただ内容自体は、平凡であるが、それでも、制度的な限定(病院の雰囲気・教育・運営方針)を舞台と言い換えている部分が面白いと感じる。つまり、ここでは、人間側が受動的にならざるを得ない制度的側面を、舞台という人間が能動的に振る舞うものへと変換した点が評価できる。

長くなってしまい申し訳ありませんでしたが、以上で終わります。

製図お疲れ様です。はじめまして坂牛研究室M1の香川です。今回、評者が加藤君でした。みなさんはどう思いましたか?
加藤君の指摘を意識してお題に答えてみたいと思います。

■「排他性をどう言い換えるのか?」

今回のお題に対し、完成と未完成というものに着目したい。
では完成・未完成と排他性にはどういった関係があるのか?そこでみなさんに工事中の建物と完成した建物を思い出してほしい。どちらのほうが排他的だと思いますか?自分は完成したものの方に排他性を強く感じ、未完成な工事中の建物に包容性を感じます。それは完成したものにはもう手を加えられない感じを受けるのに対し、未完成なものにはまだ手を加えることができる感じを受けるからです。
つまり、使う人がどれだけその建物に関わっているのかを判断するのに、完成と未完成というモノサシを使いたいと考えました。「排他性をどう言い換えるのか?」という問いに対して、排他性というものを完成度に置き換えてみた訳です。

■質量・形式・関係性に結びつけて考える

善光寺、トイーゴ、門前プラザ、長野駅、東急デパート、日赤病院、信州大学工学部、全部完成しているではないか?と思いますよね。
しかし、この中でも完成度が高いものが善光寺なんです。善光寺が木造だから一番変化しやすいんでは?とか疑問はたくさんあるかと思います。しかし善光寺はこれから、保存されていくためにほとんど変更が加えられないものです。参道に大きく開いた入口部分、手前に外陣、奥に内陣といった平面構成、大きな屋根によって作られる大空間といったように善光寺の形式は変化しないであろう。また屋根葺材は檜皮葺で、戸や柱、床は木材といった質料の変化もない。このように完全に手を加えることができない状態となってしまっています。仏像の位置といった関係性においても変更は加えられません。

以上の理由から善光寺を親父的建築とします。

みなさんのコメントには2個目のポイントの「質量・形式・関係性に結びつけて考える」というところの考察が少し弱いかもしれません。(今回の自分のコメントもそうですが…)排他性を何でもっているの?それはこの建物の○○が□□だからですよ。具体的に言うと、講義棟の机の並べ方を決めてしまっているから排他的である。とするならば講義等の教室が南側に窓を設けているからだ。と言えたりするかもしれません。このようなことを言えるように建物を観察すると今までと違った建物の見方ができて面白いかもしれません。

長々とすみませんでした。頑張ってください。

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