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October 30, 2013

女ことばとはどうやって生まれたか?

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大阪への往復で中村桃子『女ことばと日本語』岩波新書2012を読む。久しぶりに内容の濃い新書を読んだ。女ことばは古来あるのだが、一体その言葉とは女性が女性らしくありたいから話されていた言葉なのかというとそんなことはない。それは小説の中で女性はこうしゃべるものだと言う固定観念で作られた言葉であり、女性が女性言葉とはこうあるべきと言う規範に対して反抗してできた言葉であり、そして男言葉に対して女性はこうしゃべるべきだと押し付けられた言葉なのである。たとえば○○ってよ!とか○○だわ!とか○○よ!など今では小説に出てきそうな女性特有に聞こえる「てよだわ言葉」はその昔は不良女子の言葉づかいだったのであった。言葉とは乱れた挙句にもできるのである。

資本の建築

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一年に一度日建のOB会が東京と大阪で順番に行われる。大阪で行われるときは出席するようにしている。不謹慎だがOB会に出るのが目的ではなく、2年でどのくらい町が変わっているかを見に行くためである。今年は大阪駅の北側の開発が完成したので見てみようと思った。北側にはオフィスビルが3本くらい建っているのだろうか?その足元に7層くらいの商業施設や、ショールームが展開している。一回りして感じるのは建築もテナントも東京となんら変わらないということ。破格の家賃を払えるテナントは全国展開している大きな資本ということなのだろう。さらに驚いたのは北側開発のはずれに建っているヨドバシカメラのビル。これが秋葉原のそれと兄弟のようにそっくり。
日建OB会は800人くらいの会員数でその半分くらいが本日出席。皆さん元気で何より。最初に中村さんが日建の海外物件の紹介をしていたが数百万㎡の仕事など見ると一つのグローブの中でどこに資本が流れ込んでいるのかが感じられる。
世界でも日本でも資本が流れ込むところは集中する。久しぶりにそんな建築を見せてもらった。

October 29, 2013

お人よし?

ちょっとした経験談。
私が結婚して5年くらいして頑張って買った中古マンションがある。1LDK50㎡。当時ですでに築20年くらい。それをその後事務所とし使用していたのだが手狭となりそこを貸して都心に移った。ところが貸した住人が数年前から家賃を断続的に滞納するようになった。最初は大目に見ていたのだが、少しずつ滞納額が嵩むようになり、保証人である母親と話しても拉致があかなくなった。仕方なく友人の弁護士に相談したら、そういう話は昨今山のようにあるから即裁判するべきだと言う。そう言うものかと思いお任せした。裁判してどうなるのだろうか?と聞くと普通は示談になって金を払って出ていくものだと。それはありがたいと思ったが、示談に応ずる風で先延ばしされ結果的には居すわられた。結局数度の催告の後に裁判所の執行官によって荷物はすべて室外に運びだされ中身は空っぽになった。
元に戻ったのは良かったが、なんだか後味が悪い。大幅に嵩んだ滞納額に加え、裁判費用や、執行費用に苛立つのはもちろんだが、それ以上におよそ3年にわたりこの人と付き合い、何かの事情があるのだろうと斟酌しながら支払いを期待し続け、結局裏切られたそのことが残念である。まあお人よしということか?

October 28, 2013

探す本が見つからない

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月曜日は授業とゼミが圧縮されている。週の初めが一番ぎっしり詰まっている。「さあ行くぞ」と言う気持ちで始めるのだが、終わるとさすがにへとへとである。そんな霞んだ頭でとある本を探す。本棚の整理が悪いのと、事務所と大学と自宅に本が分散しているので探す本が見つからない。これはかなり根本的問題なのだが解決できない。建築の実用本は事務所に、建築の観念的な本は大学に、人文系は自宅にと思うのだが、なかなかそううまく分類できていない。どうしたもんだろう??

October 27, 2013

レフェリー集団からプレイヤー集団へ

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鷲田清一『パラレルな知性』小学館2013は専門的知性と市民的知性の乖離を再接続させる方途を模索する。その中で著者は専門的知性の変遷を語る。専門的知はその昔、社会から一歩離れた中立的な知として社会のレフェリーを務めていた。しかし現在では大学の研究者は研究資金を競争的に国や企業から獲得してこなくてはならない。資金は既にイデオロギー化されたものとなっておりそうしたマネーで行う研究は社会から一歩離れた中立的な物ではない。大学の専門家はもはやレフェリーではなくプレイヤーの一人なのだという。
確かに建築で考えてみてもその昔大学にいた建築家と言えば丹下健三、吉阪隆正、吉村順三、清家清などなど、だれもが社会に一言言える人たちであった。つまりはレフェリーだったのだ。ところが現在の大学にいる教員の多くはプレイヤーである。レフェリーたらんとする人もいるかもしれないが、そういう態度がしっくりくる人をあまり見かけない。そして著者が言うようにそれは大学全般の問題なのである。国家があるいは社会が大学をレフェリー集団ではなく、即社会の役に立つプレイヤー集団に育てようとしているのである。

October 26, 2013

貧富が同居する公共性

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翻訳勉強会。翻訳書の中に次のようなことが書かれている。「空間」の価値が否定され「場」の多様性が金を生み出す時代に移行し、富めるものと貧しいものがきわどく同居する場に金が流れる。
最近読んでいる本に似たようなことが書かれていた。若手気鋭の社会学者古市憲寿+國分功一郎による『社会の抜け道』小学館2013では消費について二人が比較的異なる視点を持つ。そして実際に多くのショッピングモールを訪れ意見する。ショッピングモールには老いも若きも裕福な者も貧しいものもごった煮のように集まって時間を費やす。その多様性を東浩紀など公共性と言って養護する。そして中国ではとんでもない規模のモールができそこに学校からスポーツ施設からアミューズメントからなんでもあるという。安いものから超高級品までが共存する。果たしてこのごった煮を本当に公共性と呼ぶのだろうか?ノー天気に楽しそうな空間だと勝手に想像するがそれを公共と呼ぶ気にはなれない。

October 25, 2013

今日は講評会漬け

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●東工大のレビュー
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●理科大のレビュー
朝一でリーテム東京工場に行って打ち合わせ。午後東工大に行って大学院製図のゲストジュリー。出題は塚本さんとベルギーの建築家。課題はヴェンチューリのcomplexity and contradictionの中の最終章。The obligation towards the difficult wholeをテーマとしベンチューリの住宅を日本のコンテクストの中で再構成しようというもの。びっくりしたのは学生の3分の2が留学生。完璧な英語のプレゼンと英語のクリティークである。スチュワート先生、塚本さん、ゲストで西沢立衛さんと僕がクリティーク。2週間の課題と聞いたがさすが院生皆思慮に富んでいる。途中だったが5時に中座し理科大へ。神楽坂で3年生の製図の講評。坂牛スタジオ今回は皆優秀で、突出したのが無いのが淋しいが、平均レベルの高い作品が並んだ。10時までみっちりクリティーク。今日は講評会漬けだが楽しかった。

ノー天気な建築

毎週台風が来るこのごろ、憂鬱である。今日は夕刻事務所でブラジル建築スライド会。改めてブラジルの建築を見るとノー天気なブラジル建築の力強さを感じる。でもノー天気な良さと言うものもある。さてこのあっけらかんとした雰囲気と複雑な我々の環境とは相いれいるのだろうか?スライドを見ながら考えてしまう。

October 23, 2013

久しぶりの日本語の講演

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夕刻から日立設計でトーク会。日立設計は日立グループの設計事務所で300人弱の設計事務所。たまさか私の信大時代の研究室出身者や理科大のOBなどがいたので招かれた。建築の素材について話して欲しいとの要望。質料と形式について本を書いたぐらいだからこういう要望は多いのだが、さすがに素材だけで1時間話すことは難しい。なので今日の演題は建築のエイドス(概念)・モルフェー(形)・ヒューレ(素材)である。社長さんも聴くと言うのでシンプルにお話しした。このところトークと言うと外国ばかりなので久しぶりの日本語のトークで言いたいことがすっきり言えて気持ちが良かった。

October 22, 2013

人間の成熟と建築の成熟

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曽野綾子『人間にとって成熟とは何か』玄冬舎2013が朝日の書評に載っていたので読んでみた。書評は少々辛口だったが、僕はなかなか共感するところが多かった。特にそうだったのは彼女の中庸な思想である。目次からそんな言葉を拾い出してみる。
「正しいことだけをして生きることはできない」
「いいだけの人生もない悪いだけの人生もない」
「いいばかりの人もいなければ絵に描いたような悪人もいない」
「人生には悪を選んで後悔する面白さもある」
この最後の標題に書かれていることは彼女がニュージーランドに行った後に彼の地が清浄過ぎて悪のにおいがしないところがつまらないと感じて言った言葉である。これは僕の実感でもある。
曽野綾子も僕も原理主義者の真逆である。世界は矛盾に満ちておかしなことばかりであることを受け入れようとしている。こんな姿勢は建築においても見受けられる。矛盾と複雑さを容認したのはベンチューリだが、日建設計でも僕がいたころ原理主義の部長のSさんが図面を見ながら「おかしいだろう」と部下を叱りつけている上から専務のSさんが「世の中をおかしいことは沢山あるんだよS君」と言っていたのを今でも鮮明に思いだす。二人の性格の差は作るものにも如実に表れていた。
曽野綾子によれば人間においては矛盾を容認できる度量が成熟だが矛盾を容認する建築は果たして成熟した建築か?

チャラヤンの物質性

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『フセイン・チャラヤン』美術出版2010を人にもらった。これは2010年に東京都現代美術館で行われた展覧会カタログ。行きそびれた展覧会だった。その中で一番衝撃的なのは彼の卒業制作。数か月間土の中に埋め、堀おこしたシルクのドレスを核としたデザイン。朽ちたシルクから連想されるのは腐ったステーキ、腐食したログハウス、中性化したコンクリート。いろいろ発想は広がる。それらは近代的な価値観の中では否定されてしまうマテチアリティである。それらを再評価するスタンスは21世紀になってどこでも散見されることだが、チャラヤンもそんな原点があったというのが面白い。

October 20, 2013

小諸コンパクトシティ構想の先鞭をつける商工会議所会館竣工

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信大時代に小諸市の街づくりの検討をしてその中核施設としての商工会議所会館の基本設計を行った。実施設計は商工会議所に所属している甘利設計事務所が行い、今日竣工式を迎えた。基本設計とは構造や材料がだいぶ変わってしまったけれど、坪80万を切る工事費でここまで作っていただいたので感謝している。
午前中は朝から神事を行い、昼前に神事とは別に竣工式が行われ感謝状をいただいた。午後は小諸商工会議所100周年記念式典が行われ、夕方からその懇親会。地元選出の国会議員が5名、市長、知事代理、などなどなんと250名参列の大パーティーが行われた。
「すごいですね」と臨席の市議会議長に言うと、「こうやって皆で元気をだすのですよ」と言っていた。なるほどお祭りみたいなものなのか?
もと国交大臣も務めたという参議院議員の話では、現在国交省には地方都市リノベーションという補助事業があり、地方都市のコンパクトシティ化に補助がでるとのこと。これはある一定のゾーンの中に交通、行政、文化、経済の施設を集約する計画が対象とのこと。小諸では駅の近くに、病院、市役所、図書館、コミュニティ施設、公園、そしてこの郵便局をテナントに持つ商工会議所会館がその補助対象に選択された。全国で最初の採択だそうだ。さてこの計画が今後コンパクトシティとしてどこまで実効性を持つのか見守りたい。

平野敬一郎の分人論

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夕方久しぶりにあさまに乗って小諸へ向かう。車中読みかけの鈴木弘輝『つながりを探る社会学』NTT出版2013を読む。人のつながりを生むコミュニケーションとは何か。そしてそのコミュニケーションによって喜びを生むとはどういうことかを探求している。その中で紹介されている平野敬一郎の「分人論」という概念が面白い。これは「個人」という概念に対立させたもので、個人とは個の一貫したアイデンティティを保つものであるのに対し、分人とはアイデンティティの一貫性を意識することなく、状況に応じて発露する自分を否定しないと言う立場である。著者はそうしたあり方がコミュニーケーションを豊かにすると指摘。分人論はいい加減と批判されそうな考えにも見えるが僕はアイデンティティと言うものをあまり信じていないので賛同する。夜小諸で商工会議所の方とお会いして夕食。

October 19, 2013

稲葉なおとに素敵な宿を教えてもらった

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●楽楽荘和風スィート山桜(ゆすら)のプランhttp://rakurakuso.com/stay/yusura/

年明けに外国の建築家を連れて修学院と桂を訪れる。せっかく地球の裏側の客をつれていくのだから京都らしい宿に連れて行きたい。そう思っていろいろ調べても馬鹿高い宿か、普通のホテルしか見つからない。リーゾナブルプライスで、建築が素晴らしく、ホスピタリティの高い宿など無いのだろうか?
そこで閃いた。稲葉なおとに聞いてみよう。昨日そんなメールを打ったら早速、今朝「こんなのはどう?」と二つ候補を送ってきてくれた。
一つは京都亀岡の楽楽荘と円山公園の中にある吉水。どちらも探していた宿にぴったり。少々高いが楽楽荘は田中源太郎翁旧邸に小川植治の庭。そのうえ部屋が広い100㎡である。それでルームチャージ21000円。一人あたり1万500円である。そこで電話をしてみた。すると空いていますよとの返事。4室全部予約。さすが稲葉ありがとう。

October 17, 2013

大学院の後期製図

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理科大大学院の製図は前期は藤原徹平さんと構造の小西さんのコンビで構造オリエンテッドな設計にチャレンジ。後期は亀井忠夫さんと環境の山下開さんのコンビで環境オリエンテッドな設計を学ぶ。亀井さんのエスキスは遠回りせず的確なコメントで合理的に学生を導く。さすが組織の長である。藤原さんの課題は家具のような建築でありとても小さなスケール。亀井さんの課題は数万㎡という大きな課題。昨日のアンリアレイジのファッションテーマが小さなものと大きなものだったが、建築では普通に起こる重要な問題である。小さなものと大きなものは実際の設計ではテクニカルに全く違う様相を呈するのだが、そこには当然建築としての一貫性がある。前後期を通じてその共通点を確信するのは難しいかもしれないがなんとなく肌で感じてもらえればうれしい。

October 16, 2013

大きいと小さいを分ける境界線はどこにあるか?

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昨年作られたコムデギャルソンの本の巻頭の座談会でご一緒した森永さんのブランドアンリアレイジのファッションショーの案内をいただいた。場所はラフォーレ飯倉。テーマは「大きさと小ささ。大きいと小さいを分ける境界線はどこにあるか。」森永さんらしいコンセプチャルなテーマである。
驚いたのはショーの途中で登場した大中小のモデルの乗ったステージが空中に浮き、ひときわ人目を引いたところで、モデルの着ている服の裾が上昇したのである。つまりロングスカートがミニスカートに変態したのである。これも森永さんらしいと言えば森永さんらしい。大きいものが小さくなった。

October 15, 2013

都市の巨大ボイド

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桂離宮と修学院離宮の拝観申込みに宮内庁と言うところへ初めてでかける。皇居の周りはしょっちゅう自転車で回るのだが、自転車と車は深く内側へはいりこめない。進入禁止になっている。二重橋からぶらぶら歩いて坂下門に向かう。この坂下門から丸の内を振り返って見るとなかなか壮大な眺めが展開する。超高層ビルにやんわりと囲まれたこの皇居回りの広場の広大さは世界でも類を見ない。上海の美術館のあるあたりはこんな風だけれどそれよりも規模が大きい。
宮内庁のあたりは静寂で空気がいい。リスでも出てきそうな風情である。拝観申し込み室にいくと外国の方が数名いた。彼らはたとえ前日でも、明日桂を見たいと言って定員が空いていれば簡単に見られるらしい。日本人だけだとそうもいかないようだが。

ブラジルの二の舞にならないように

日曜日はクライアントと打ち合わせ。消費税増税が決まり、オリンピック誘致が確定したことで工事費の上昇は逃れられない。さまざまな情報をかき集めてクライアントに話す。工事費が来年夏(着工時)には3割くらいは増加しそうですよと。相手も困った顔だがまあ仕方ないという風である。
それにしても、工事費がそうなのであれば他の物価の上昇も心配である。ラテンアメリカでは政府の発表で年1割~2割程度のインフレなのだが僕が一年ぶりに行って感じた物価上昇は倍である。去年1足300ペソだった全く同じ靴が今年は620ペソだった。そしてブラジルも同様な超インフレに彼らは迷惑している。どこへ行ってもデモの嵐。そのおかげで僕らはブラジリアのコングレッソに入れなかった。彼らにとってワールドカップもオリンピックもお荷物以外の何物でもない。日本はどうだろうか?政府が良かれと思ってやっていることは我々のためになるのだろうか?ブラジルの二の舞にならないことを祈っている。

後期のスタートゼミにへとへと

後期最初のゼミ。4年M2にとっては卒業、修了へ向けた最後のフェーズのスタートでもある。15人くらい相手に一人20分で300分。3時から8時半くらいまでぶっ通し。医者さながらの連続対応にへとへと。お医者さんってえらいよなあと思わずため息。
やって来る患者の病気はさまざま。夏風邪程度はまだいい。見極めるのも楽なら治療もさしてすることはない。しかし重傷者には頭が痛い「どうしてここまで放っておいたんだ」と怒る医者の気持ちがよくわかる。そんな患者は病巣がすぐ見つかれば即刻手術。それはそれでやるべきことが分かっているのでなんとかなる。難儀なのは病巣が見つからない場合。いずれにしても最後は自己治癒力に期待するしかない。医者と違って僕らは学生に処方できる薬がないのだから、、、、、まだ続く時差ボケと格闘しながらこっちも必死。今ここで病巣を取り損ねれば最後に悲しむのは学生もこちらも同じだから。

October 12, 2013

人のアイデンティティ、建築のアイデンティティ

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浅野智彦『「若者」とは誰か―アイデンティティの30年』河出ブックス2013を読む。昔は結婚、就職、人生観が自己のアイデンティティを作っていたものが消費社会になり何を買い何を食べるかがその人を示すようになり90年代ポスト消費社会ではその人が他人とどのようにコミュニケーションをとるかがその人を決定するようになる。そしていずれもその人をその人たらしめるものはもはや単一ではなく多元化しているというのが著者の考えである。僕も概ねそう思う。そしてこのことは人だけではない、およそ人が作る表現するすべてのものが多元化している。建築も例外ではないし、僕が言うフレームとしての建築なんていうものはその典型である。建築のアイデンティティよりもその他のアイデンティティを重視しているのだから。ただそこにはフレームとしての建築は実態として不変にあり、これがこの建築のメタレベルのアイデンティティとなっている。同様に人間も時と場合で様々な人格がでてくるかもしれないが、そうした人格を収めている器というものがあり、これがこの人のメタレベルのアイデンティティを形成しているのだと思う。

October 11, 2013

朝のジョギングが夜中にずれ込む

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長い出張から帰るとたまった仕事を前に呆然とするし、即決すべき事案を前に合意をとる人がつかまらなくてイライラしたりでとにかく初日はしんどい、それでもいろんな人と連絡取ったり話したり、メールしたりしてこんがらがった糸をほぐす。もちろんそれでも不確定要素がごろごろあって気分が悪い。帰国後二日目になるとメールしていた相手から返信が来たり、さらに多くの情報が入ってきて少し安心したり、困ったり、そして授業もありしばらく見ていなかった学生とも会話しやっと浦島太郎状態からこの世に戻ってきた気分となり少し安堵する。まだ時差との戦いは当分続く。朝のジョギングも朝なのか夜なのか??

October 10, 2013

東京でタンゴ?

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日本に戻り次の日にどうしてこういう重い会議がごろごろしているのか?いやになってしまうが仕方ない。会議が私を待ってくれていたと思えばありがたいことである。それにしても解けない問題が山積みで妥協案を考えねばならぬということばかり。ああ疲れる。
帰宅途中四ツ谷駅の傍にはアルゼンチンタンゴの店がある。思わずそそられるが眠いのでスルーして家へ。

October 9, 2013

模型生還!

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無事成田に4つの模型を持ち帰った。20分の1の躯体模型である。スタイロを切ってジェッソを塗っては紙やすりで磨くという工程を数回繰り返して作った模型。研究室で二つ、事務所で二つ作った。持っていくのにいろいろと調べた挙句チェックイン荷物で超過料金を払うのが一番安上がりと分かり一つにつき100ドル払って持って行った。良く分からないのだが帰りはルールが異なりしかもペソで払うと言うこともあって400ドルより高い。しかし展示中の模型を特別に搬出させてもらい、トラックをチャーターして展示会場から空港へ、ブエノアイレスの空港では値段の決まっていないポーターを頼み最後に支払いで文句を言われ(有り金全部挙げたけれど、、、、)、そして二回の乗り継があったけれど無事成田に到着した。税関で一つくらい開けさせられるかと思いきや、そんなこともなく。宅急便へ。日本まで来ればもう安心。フー。

ゲーリーのそばに見たことある建物発見

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南米からの帰路トロントでのトランジット6時間を利用してリベスキンドとゲーリーを見に町に出た。ゲーリのそばに見たことある建物発見。トロントアートカレッジの増築である。好き嫌いは別にして、これも現場に来ると設計者の気持ちが理解できる。

October 8, 2013

世界で建築の話をすること

アルゼンチン、ブラジル行脚を終えて帰路についた。去年の春から日本の外で建築の話をすることが急に増えた。世界の5つの国、6都市、8大学、1企業、3つの会議場で計13回建築の話をした。話したことは自分の建築のこと、建築のアイデンティティのこと、歴史とデザインのこと、建築の構築性のことなどである。
昨年までは自分のことを英語で話すことで精一杯だった。相手が理解しているかどうかなど考えている余裕はなかった。が、今年の春くらいからなんとなくこの話は分かってもらえている、これは難しいという感触を話しながら分かるようになってきた。そして国によって理解してもらえる内容が違うことも分かってきた。そんなことは文化が違うのだからあたりまえなのだろうが、実際に想像するのと、肌で感じるのは大違いである。一生懸命作ったストーリーがスルーされることくらい淋しいことは無い。
今回は、ビエンナーレの国際招待講演と4つの大学でそれぞれ1回計5回話をした。招待講演は残念ながら緊張してひたすらしゃべって終わったが、それ以外の大学ではこちらから質問をして手を挙げさせ、終わった後の質問も欠かさず、ジョークもあり、笑いもおき、サンデル教授とは言わないが、今までよりかはお互いの理解が深まるレクチャーになったような気がする。次はスペイン語をもっとはさみながら(全部は到底無理だから)レクチャーできるようになれたらと思うのだが、、、、、何時になることやら???

October 7, 2013

Chiao Buenos Aires


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ブエノスアイレス最終日は今年最初の春のウィークエンドの快晴だそうだ。ブラジルでは連日の雨に気分が落ち込んだが、天は最後に味方してくれた。
そして今日はロベルトの家でアサド(肉を焼いて食べる)。ビスマン夫妻とニコ(息子)がやってきて日曜日を楽しんだ。
明日の模型の梱包、そして3か月後に行う日本での展覧会やシンポジウムの打ち合わせなどを最後にしていたら未決事項がいろいろあり気持ちを新たにさせられた。とある大学の名誉客員教授という話ももらいまた一つ繋がりが深くなりそうである。
夜はRicard Kinaさんとお別れの食事。Kinaさんにも毎度お世話になっています。
Gracias Chao!!!!

October 6, 2013

ブラジルで中国の空気を感じた

1週間のブラジル行脚は4都市を性急に回るものだった。ブラジルは勢いがあって、煩くて、人々はいつも走り、エリートはプライドが高く、しかし若い学徒は冷静に国を批判し、物価は恐ろしく高く、街はいたるところが工事中で、大都市にはホームレスが溢れ、それで来年はワールドカップ、再来年はオリンピックを行い、それが国を豊かにするとはだれも考えず、天才的建築家がいたけれども、民度はさほど高いわけではない、らしい。僕の知る限り今のブラジルの空気は中国のそれにかなり近い。近代建築の伝統ははるかにブラジルのそれの方がうえではあるが。別れ際にウゴ教授が言っていたが、今ラテンアメリカで元気なのはチリ、ブラジル、メキシコだと。それは建築のこと?と聞いたら、うーん建築かもしれないし経済のことかもしれない?と言っていた。
夕刻の飛行機でブエノスアイレスに戻る。面白いいものでこの地球の裏側の異国でも一度外に出て戻ってくると故郷に戻ってきたような安心感がある。ブラジルに行ったおかげでアルゼンチンが相対化された。次はチリかメキシコか?ラテンアメリカへの興味は尽きない。

シザの大屋根はこの大屋根へのオマージュだった

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イビラプエラ公園にニーマイヤーを見に来る。もうそろそろニーマイヤーはいいやと思っていたが、塚本さんがイビラプエらを勧めてくれたのでやってきた。この公園は全部ニーマイヤーが設計している。○△□全部ある。それらはもういいと思ったが巨大なフリーシェープの屋根がかかっていてその下でスケボーやローラースケートが行われていた。自由なアクティビティを受け入れるこの巨大屋根は今の日本っぽい。50年前にこんなのあったというわけだ。この巨大屋根はブラジルの強烈な夏の太陽の下では有効なはずである。そいうえばシザの巨大屋根を思い出す。ということをウゴ教授に言うと、あれはシザのニーマイヤーへのオマージュなのだと言っていた。ポルトガルの建築家はニーマイヤーの影響を大きく受けているとのこと。

October 5, 2013

パウロ・メンデス・ダ・ローチャの建築を三つ見た 感動した

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サンパウロ大学のレクチャーの後院生の車に乗せてもらいピューリッツカー賞建築家パウロ・メンデス・ダ・ローチャの建築を三つ見た。コンクリートのロングスパンは彼に限ったことでは無く、ニーマイヤー、リナボバルディ皆やることだが、彼の緊張感のあるスケールに心動く。ブラジルでいいものを見た気がする。

アルチガスの建築学科棟でレクチャー

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朝一で地下鉄4番線の終点ブタンタに行く。サンパウロ大学の院生が我々をピックアップしてくれて大学へ。ついにお目にかかる伝説のアルチガス設計の建築学科棟。ブラジルコンクリート建築の神髄の一つである。が、しかし、なんとコンクリート表面が剥落して鉄筋がいたるところで露出。かぶりを減らして薄く軽く見せたのが初期ブラジル建築の特徴で今では法的にそれは不可能なのだが、まさか壁までかぶりを少なくしていたとは予想外。それにしてもこうなるまで放っておいたのは何故か分からない。これから3年かけて完全に補修すると言うのだが、、、、、ブラジルの最高学府の一つの大学がなぜ?????
ともかく、この建物でスピーチできるのは光栄である。100分間通訳なしなので充実したレクチャーだった。いくつかの質問を受けた後、日本語が上手な日系ブラジル人が来て僕の事務所でインターンシップをしたいとのこといつでもどうぞとお答えする。

October 4, 2013

リナ・ボ・バルディの建物でブラジル建築のレクチャ

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朝サンパウロ大学のウゴ・セガワさんがホテルに迎えに来てくれた。いくつかの建物を見て回りその後リナ・ボ・バルディのsesc pompeiaなる建物に連れて行ってくれた。これはレンガ造りの30年代の工場をコンバートして展示施設、ホール、ワークショップ、レストランにし、更に隣接してコンクリート打ち放しのスポーツ施設を併設したものである。彼女を有名にしたのはもちろんサンパウロ美術館だが、この建物は市民に愛されている感じである。ここで昼をとりウゴさんにブラジル建築の講義をしていただいた。

October 2, 2013

ニーマイヤーのコンクリートは紙のように軽やか

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今日は車を一台チャーターして朝からニーマイヤー漬け。その結果ニーマイヤーはカルトラーバのように必ずしも構造的な合理性でデザインをしているのではないと感じた。一見構造的に見えてもよくよく考えるとこれは装飾だなと感ずるところが多々ある。でもそれでいいのだろうと思う。それにしてもコンクリートでよくこれだけスパンとばすよなあと感心する。
昼はショッピングセンターのフードコートでサラダを食べた。数十種類ある野菜やキノコやヤシの芽などから好きなものを選んでミックスサラダにしてくれる。これが僕にとってはめちゃくちゃ美味しいのだが、見ていると地元の人はあまり食べていない、ブラジリアに来ている他国の健康志向の外交官たちが注文しているようである。
午後は3時に予約していた外務省の見学。あの有名なコンクリートのらせん階段を見る。本物は写真よりいい。ガイドが言うにはこの階段に手すりが無いことについてニーマイヤーは3つの理由を挙げたそうだ。一つはこの階段はアート作品であること。二つ目はこの階段は幅が広いので真ん中を歩けば危なくない。三つ目はこの建物にはエレベーターも別の階段もあるので心配な人はこの階段を使う必要はない。幸い今まで落ちてけがをした人はいないそうである。おおらかな国である。

October 1, 2013

ファベーラはもはや無法地帯ではない

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ファベーラ(南米のスラム)の観光ツアーがある。日本で言えば山谷ツアーである。3時間で1万円強。3時間と言ってもツアー参加者のホテルを回ってピックアップするのに1時間。終わってホテルに送り届けるのに1時間なのでファベーラの中を散策するのは正味1時間。それで1万円とは少々ぼってる。とにかくブラジルは物価が高い。感覚的には日本と同じかモノによっては日本より高い。アルゼンチンから来るとぐっと高くなった感じがする。
ファベーラの中はもっと汚く、もっと危険な香りがするのかと予想してきたがさにあらず。いっしょにきたスイス人のおばさんも南アフリカのこういうところは比べ物にならないほどだと言っていた。
ファベーラはどこの国でも違法無法地帯で電気も水道も違法に他の場所から引き込まれている。そしてそのお金は政府が払っている。彼らを見殺しにはできないと言うわけだ。そしてあまりに巨大で(ちなみに僕らが見に行ったところは人口20万人)クリーンアップして作り直すお金などとてもない。そこで政府はファベーラは残し、少しずつ改善する道をとることにした。このファベーラも下の方にファベーラ住民のためのスイミングプールや学校がある。また中心部には政府の作ったハウジングもある。建築家としてそれに取り組んでいるのが、コロンビアのメサやチリのアラベナである。パレルモ大学の課題もファベーラの改善スキームであったのを思い出す。