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December 31, 2010

親父の書斎

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生まれ育った西武池袋線江古田を歩いてみたくなった。小学校1年まで住んだ場所である。記憶に残る日大芸術学部は建て替えられ街に開かれた最新大学に様変わりしていた。6年間住んでいた団地も建てかえられ住宅供給公社のアパートにはとても見えないぴかぴかのマンションのようになっていた。引っ越し後も通い続けた開進第四小学校に行ってみた。やっと自分の記憶をよみがえらせる風景があった。でもそれは建物ではなく運動場と木々である。そこから10年間通った武蔵野音大へ。ここは建物に記憶が詰まっている。ホールのファサード、ガラス越しに見えるロビー。あそこで恐ろしいレッスンを前に緊張していた自分を思い出す。音大を後にして駅前へ。もうなくなってしまったと思っていた市場と呼ばれるアメ横のような商店街が残っていた。よくここでおつかいの帰りに焼き鳥を食べた気がする。
西武線で大泉学園へ。小学校1年から大学を卒業して日建に入り結婚するまで過ごした実家に行く。よく考えると実家に行ったのは10年ぶりくらいである。2階の親父の書斎に行ってみる。僕ら兄弟の部屋も親父の部屋になってしまったようだ。あれあれ木造の2階にこんな本置いていると家が傾くぞ。一つの部屋は全集ばかり。マルクス、エンゲルス、レーニン。一つの部屋は雑誌と文庫本新書など。わけもわからずこんな本にあこがれた時代があったものだと思いだす。
両親は二人ともまだまだ元気そうでうれしい。親父には立花隆、オフクロには山下洋輔の新刊を西武リブロで買ってきた。本がうれしいくらいだから未だ頭もぼけてはいないようだ。

アトリエ・ワンの「ふるまい学」を読んで思う

昨日ジムでシャドーボクシングのようなことをやったせいで体中が痛くて動かない。仕方なく家でゆっくりした。昨日RizzoliのAtlier Bow-Wow Behaviologyといっしょにテキストの日本語訳(英語訳の元日本語?)をもらった。その中の最初の論考アトリエ・ワンによる「建築のビヘイビオロロジー」を読んでみた。こういう考え方は今和次郎的だなあと思っていたら次の藤森さんの文章が「アトリエ・ワン的視線の由来」と題してまさに今和次郎のことを書いていた。もちろん藤森さんとしては今和次郎とアトリエ・ワンの間に自らを位置付けているのであるが。
今和次郎的であるからアトリエ・ワンの評価が下がるわけでは全くない。今和次郎の発想はもともと考現学と称し現在を考えることだった。つまり現在を観察することである。僕の本棚にはその昔おばさんからもらった今和次郎全集が並んでいる。時おりどれということもなく抜き出して眺めてみる。今独特のスケッチによる生活風景に目が釘付けになる。そこには生活に対する今の尽きぬ興味(愛情)が溢れている。おそらくアトリエ・ワンも生活、人に対する好奇心に満ちている。しかし注目すべきはそうした好奇を観察から創作のレベルへ昇華させようと考え続けたことであろう。
アトリエ・ワンの文章の冒頭に彼らの素朴な疑問が書かれている「建築家が作る建物はどうして周りから浮いてしまうのか?」この疑問が最初に決定的に建築家に突き付けられたのは多木浩二によってだと思う。そしてそれを真摯に受け止めて建築を作りはじめた最初は伊東や坂本の世代であろう。しかしそれらの建築はその批判に概念的に対応していたように思われる。それを解読するには少々考えないといけない。それに比べるとアトリエ・ワンはこうした批判に対してもっと感覚的なレベルで理解可能な方法を考えた。そのために彼らは再度人に向き合いながらそこでの観察を形に変容させる道しるべを探したのである。それが「ふるまい―behaviorology」というキーワードである。そう、はるかに直接的で形や人間を結びつける匂いで満ちている。使い勝手がよさそうである。分かりやすい。
彼らが世界で受け入れられるのもこうした分かりやすさに起因するのかもしれない。

December 30, 2010

参宮橋で黒い家を見る

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午前中事務所。今日はスタッフもまばら。S君を連れて平瀬さんの住宅を拝見しに参宮橋へ。昔懐かしい場所。ちょっと迷ったがなんとかたどり着く。カメラマンの山岸剛さんが撮影中。明日引越しらしくぎりぎりだった。マジックコートの黒っぽい外観が印象的。3層吹き抜けの階段室周りがトップライトの光で明るい。窓は木窓。アコーディオン網戸を隠す窓周り、高さ1センチの入巾木、取手のないドアなど随所に味のあるディテール。これが処女作とはたいしたもの。
午後事務所に戻り打ち合わせ。原稿書き。夜は毎年29日恒例の忘年会。武、柳、奥、塚、貝、萩、小、木、島、石、今年は小川君と石田さんもいらっしゃいました。塚本さんからAtlier Bow-Wow(Rizzoli版)をいただく。ありがとうございました。では皆さまよいお年を。

December 28, 2010

今井浜

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海岸をぶらぶら
今日は河津に隣接する今井浜海岸に来てみた。営業していない海の家のテラスに荷物を下ろす。しばらくあたりをうろうろしながら何を描きたいのか考える。美しい海岸を前にしているのだが海は描く気がしない。
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岩もなかなか魅力的だが
自然恐怖症である。仕方ない風化した海の家を描くことにする。
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朽ちた海の家
塗料がはがれかけた壁面の肌理を描いてみたいのだが、、、、お腹が減ったので2時に狩終了。
これで河津でのスケッチは終わり。気に入った絵にはサインと日付を入れた。全部で6枚くらい。今井浜の東急ホテルで遅めの昼食をとってから河津に戻り特急踊り子で東京へ帰る。

輪郭をとることと面をとること

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朝食後バスに乗って河津七滝へ向かう。七滝と書いて「ななだる」と読む。文字通り七つの滝が連続する。最初の滝の滝壺あたりに居場所を構え、絵を描き始める。2時間ほど描いてから昼食をとるため下山。その後バスで河津駅まで行き海に出る。海際はすごい風。閉じられた海の家の脇に場所を作りまた絵を描き始めた。
日比野克彦展に触発されて小学生の遠足以来やったことのない絵の具で自然を描くなんていうことをやってみようと思い立った。これはサインペンや鉛筆で建築を描くのとは勝手が違う。やってみればああそうかと思うようなことだが改めてその差を痛感した。
ヴェルフリンではないが、輪郭をとることと面を塗ることには技術的に大きな差がある。絵具で面をとるとどうしたってものの色を真剣に見るようになる。しかも相手は自然だから何色があるか想像もつかない。建築とは違い自然には色が多いことを改めて知る。次に自然の形の複雑さに驚く。当たり前のことだけれど手を動かしてみるとそのことを手で知る。
山と海を見て感じた。山は濁った色で複雑な形状に満ちている。海はピュアな色でシンプルな形で構成されている。きっとどちらにも良さがあるのだろうが最近の気分は海である。年をとると誰でも海を好きになるのかもしれない。

December 27, 2010

炭火

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午前中のスーパービュー踊り子で河津を目指す。窓が大きくトップライト付き。これは暑い。冬でこれなら夏は乗れない。東京から2時間半かかるのだがこの時間あったら京都に着く。なんでこんな時間かかるのだろうと思っていると小田原を越えたあたりから電車はのろのろになる。海岸線を走る線路は曲がりくねっているからだろうか?河津は伊豆半島で暖かい場所かと思いきや風が強く寒い。しかも旅館がまた古いせいか隙間風が多くかなり寒い。羽毛にくるまり庭で絵を描く。寒くて夕方撤退。広間に囲炉裏があり炭火にあたる。

December 25, 2010

八百屋を改装したレストラン

朝の長野は大雪の様相。すでに昨晩から降り積り市内は真っ白である。9時ころのあさまに乗る。トンネルをいくつかくぐると雪雲は消え快晴である。上りは『雪国』の逆になっている。東京について昔の施主の家へ。室内には素敵な油絵が飾られていた。ベトナムのアーティストだとか。
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その後近くで一緒に食事。その昔八百屋だったところを改装したレストランだそうだ。柿木が風情ある。食後新宿で用事を済ませた後世界堂でかみさんと待ち合わす。明日からのスケッチ旅の足りないものを買い込む。かみさんは墨絵用の紙と皿。僕は絵の具を2本補充。筆洗い用の携帯バケツ。携帯椅子などなど。帰宅後荷造り、パレットと筆を出してくる。かみさんの使わなくなった筆を2本ほどもらう。
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零下の長野

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7時台のあさまで長野へ。車中ヤクザ肯定論を読み続ける。山口組がどれほど芸能界を牛耳っていたかがよくわかる。芸能もヤクザもマージナルなものであったからこそ繋がったということのようだが、、、、東京は快晴だったが長野は雪が雨にかわった後の曇天。今年最後の講義と製図。欠席が多いのはクリスマスだから?別にクリスマスは学生の特権ということもなかろうが。夜は研究室の忘年会。グッドニュースの報告会。本日クリスマスプレゼントのように設計事務所の内定通知。・・・・留学帰国報告。世界は広くて狭かったそうだ。・・・・装苑賞の第二次審査通過。incredible。4月に文化服装学院でファッションショー。見に行くよ。・・・・リヒテンシュタインとブエノスアイレスに2名留学決定。世界を見ておいで。
2次会途中12時になったので家に帰る。零下の夜。長野駅は冷たく光っている。
一年御苦労さま。来年は信大で最後の卒論修論。有終の美とは言わずとも、飛ぶ鳥跡を濁したくない。みんな頑張ってください。

December 24, 2010

ゴミの山に埋もれ

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今日は事務所の大掃除。「あれ、もう仕事終わり?」と昨日真理さんに尋ねられたが、今日くらいにやらないとゴミが出せないのである。ということを言ったら、同じ四谷の住人である真理さんも慌てていた。いやいや毎年同じことを書くのだがどうしてこんなにゴミが出るのだろうか。カタログが段ボール箱にしたら20箱、フローリングのサンプルが100枚、ガラス、アルミ、塗装見本、などなど、事業ごみのシールが45リットル50枚、10リットルが40枚である。サンプルは借りるというシステムにしたらどうだろうか?捨てるのに金がかかるというのもあるし、そもそももったいない。
ゴミを出した後は床のワックスはがしとワックスがけである。普段つかわない筋肉を酷使したせいか痙攣している。夜は事務所の忘年会。伊藤君が年末で40ということでスタッフから素敵なポートフォリオを送られた。すごいねこれは。伊藤君もボス冥利につきるということだ。OB,OGも集まり総勢16人。こうやって集まってくるのは嬉しい限り。来年もみんな頑張ろうね。

December 22, 2010

日本のサンタモニカでいいものを見た

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午前中九段下で用事。昼食をY先生と共にしてから急いで横須賀線で逗子へ向かう。2時過ぎに逗子で真理さんとお会いしタクシーで佐島へ。車中真理さんがこの辺りは「サンタモニカだねえ」と興奮気味。そう思う!!真理さんも僕もLA経験があるのでサンタモニカだとかマリブなんていう地名で同じ空気を共有する。車で約20分吉村靖孝さんの佐島の貸別荘に到着。今日は海の向こうに富士山まで見えてきた。涙が出そうなロケーションである。そのロケーションにこたえる巨大なピクチャーウィンドウ。でもいいなあと思うのはのはパラレルに配されたRC壁で切り取られる短冊空間の緩いつながり。そしてその幅に合わせた多様なウィンドウで切り取られる不連続な外部。場所ごとに現れる個別な風景が短い記憶の中で連なっていく。想像以上の建物だった。帰りは湘南ライナーで新宿経由四ツ谷。事務所に戻り打ち合わせ。

December 21, 2010

ポストヒューマニズムの「ヒューマニズム」建築について

K.マイケル・ヘイズ『ポストヒューマニズムの建築』ではジェフリー・スコット『人間主義の建築』が文字通り批判的に読み込まれている。という内容のツィートをマイケル・ヘイズの翻訳者松畑さんから頂いた。そう言えばそうだろうなあと思いながら読み返してみた。ヘイズはハンネス・マイヤーとヒルベルザイマーを通して反ヒューマニズム的建築の読み込みを行いながら統合的で中心的な人間主体を放棄した建築の可能性、現代性を提示する。そこにおいてスコットはと言えば、人間主義を賞揚する過去の人として取り扱われることとなる。
さて「ヒューマニズム建築」という言葉はあちこちで耳にするものの一体その語の意味合いとはいかなるものか?体系的に書き連ねることなどできないが少なくとも二つの書を整理すれば恐らく3つくらいの意味が読み込める。
1) 哲学的な言説と呼応する意味で「確固とした人間主体が計画した建築」(そこには人間精神のバランスと合致した統合的な姿が現れる)
2) スコットが説明するところの「人間と同一視され得る建築」(そこには人体が持つ比例関係が投影された古典主義的な姿が現れる)
3) これもスコットが説明するところのもので「人間が感情移入できる建築」(これは建築受容の側面から分析された考え方であり建築の姿を規定はしない。ただし人間の感情移入を誘引するためには建築自体が2)で示したようなアンソロポモロフィック(人体同形)であることはその可能性を高めることなる)

さてこんな整理をしてみたのは、昨今作品選奨の審査で1)を否定するような反ヒューマニズム建築と2)3)を賞揚するようなヒューマニズム建築を見せていただいたように感じ、その感じ方を整理してみたかったからである。しかし整理しながら思い返してみると、それらの建築の良さはどうもそうした差によって明確になるそれぞれの性格の中にあるというよりは、むしろそれらが共有する特質の中にあるのではと感じるのである。ではそれは一体何なのか?するとどうもここにまた人間が登場する。それは「人間を疎外しない」とでも言えるような性格である。最近の建築はどんなにとんがったデザインをしながらもどうもこの点を外していない場合が多い。人間が何らかの意味でデザインの支配的な部分にいる。その意味で昨今の建築はポストヒューマニズムの「ヒューマニズム」建築と呼べるようなものなのかもしれないとふと思うのである

December 20, 2010

ヤクザにも歴史あり

午前中事務所で打ち合わせ。午後一のアサマで大学へ。教員会議を終えてからゼミ。この時期のゼミは精神衛生上よくない。誤訳だらけの難解な哲学書を読まされるような状態である。自分もかつてこうだったのだとすれば先生には謝罪したい。
夜のアサマで帰京。車中『近代ヤクザ肯定論―山口組の90年―』を読み続ける。山口組の歴史は神戸に出て仲士を始めた淡路島出身の山口春吉(一代目)に始まる。仲士に必要な連帯感と体力に長けた彼はあっという間に仲士のボスに見込まれた。そもそも仲士の仕事は義理と人情が不可欠でありヤクザの世界と密接に結びついていた。よって春吉も必然的にその世界に入っていったわけである。それからはまさに、あれよあれよと山口組の日本制覇が始まるが、しかし、忘れてはならないのは山口組とて日本の底辺労働者の構成要素であったということ。彼らが下層労働者の階級闘争の一翼をも担っていたこと。加えて無法状態に近い日本の戦後の警察力を補強もしていたこと。などなど。つまり民衆の側にも権力の側にもつきながら社会の誰もやれないできないことを担っていたのがヤクザだったということだ。もちろんここに書かれていることの裏をとるなんていう芸当はできないけれど、宮崎学の血統からしてこの内容の概略は間違っていない。やはり歴史は知っていないとまずいな。今起こっていることには皆歴史ありということだ。表層だけ見て騒ぐのは余りに愚か。

December 19, 2010

やっと脱稿ー4年かかった

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やっと終わった。A0勉強会で翻訳中だったGeoffrey Scott The Architecture of Humanism ―A Study in the history of taste― 1914、本日脱稿。この作業2006年に始めたから4年まるまるかかったことになる。『言葉と建築』よりも時間がかかった。皆で3回ずつ読みなおししたからそのくらいかかるわけだ。でもとにかく終えた。香山先生曰く「今まで翻訳されていなかったことが信じられないくらい重要な本」なのです。来春にはSD選書となって本屋に並ぶことでしょう。ご期待ください。
さて次は何にとりかかるか。この不思議な集団は増えたり減ったりしながらでも粛々とこんな作業をずっとしていければ嬉しい限り。

December 18, 2010

高橋コレクションも今年限り

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午前中明日の勉強会の原稿をチェック。終わって修論の梗概に赤入れ。飯を挟んでさらに赤入れ。数年前から6ページまで許容されたせいか文章が冗長になってきた。6ページ使って6ページ分の内容がない。午後日比谷の高橋コレクションを覗く。日比谷のオフィス街から一歩入ると現代アートのカオスが突如現れる。このギャップは楽しいhttp://ofda.jp/column/。この周辺は巨大再開発の餌食となる予定地のようだ。日比谷パティオは既に消えてなくなっている。そして高橋コレクションが入居している三井のビルと隣の日生劇場も壊されると聞いている。このギャラリーも12月19日までの命だそうだ。四ツ谷に戻りジムで汗を流し帰宅。年賀状に着手。印刷は終えているので後はコメントを書きこむ。100枚くらい書いたら疲れた。宮崎学『近代ヤクザ肯定論』ちくま学芸文庫2010を読む。この人の本はかつて『突破物』というのを読んだことがあったようなないような??忘れてしまった。

December 17, 2010

多様性を包容

朝一でゼミ。今日の輪読本は土屋淳二『モードの社会学』。ファッションの社会学的分析では成実弘至の著書は定評があるが、それらはトピカルな話題をその都度フィーチャーしており初心者向けではない。一方土屋さんのこの本は上下巻あり体系立っておりやや生真面目だが、学生にきちんとした用語の定義から学んでもらうには好著だと思う。特にファッション、モードという概念を過去の使用例から正確に定義づけており、これらを建築分析に借用する場合も誤解を生まない。
午後製図。今年の2年生は昨年に比べるとややデザインの意欲が希薄なようにも感じていたけれど二つ目の課題ともなるとエスキスの会話も徐々に深みが増してきたようにも思う。特にデザイン論で講義しているものの見方や概念が応用されるのを聞くと少し嬉しくなる。
夜のアサマで帰宅。車中読みかけ渡辺靖『アメリカン・デモクラシーの逆説』を読む。著者はアメリカの陽気で公平で自立的な側面を好ましく思う一方でそうしたアメリカがいつでも山積みの問題を抱え右往左往する姿にジレンマを見る。オバマがあれだけ多くの支持を得て大統領になりながらその政治信頼度は戦後最低になってしまうのはどうしてなのだろうか?もちろん実態として数字の上でアメリカが豊かになれていないという事実はある。しかしではブッシュのようなアメリカに戻る方が正しいことなのだろうか?常にカウンターパートが様々な形で登場して強い方向性を打ち消していくのが最近のアメリカなのだろうか?まあそれを言えば日本も同じようなものなのだが。多様性を包容するということはとても難しいことだろうがそれを諦めてはいけない。

December 16, 2010

クライスラーの工場がコンヴァージョンされて集住へ

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午前中のアサマで大学へ。駅から自転車で大学へ向かう途中でばったりアルゼンチン留学から戻った香川君と会う。1年近く会わなかったけれどアルゼンチンに行ったのがつい昨日のように思えてくる。ロベルトから預かったという本を貰う。この本Buenos Aires Ayer y Hoy 英語で言えばBuenos Aires now and then ブエノス・アイレスの今と昔が見開きの両側に掲載されて説明がついている。ペラペラめくっているとこんな面白い写真発見。左側の写真は20世紀初頭でクライスラーの工場・オフィス。競輪場みたいな楕円のバンクは走行試験コース。その建物が20世紀後半に集合住宅と商業のコンプレックスにコンヴァージョンされた。結構大胆な変化である。敷地はラテンアメリカ美術館のすぐわきで僕も何度となくこの前は通ったことがあるが、こんな楕円の中庭があるとは知る由もない。

responsive architecture

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一日事務所で打ち合わせ。年内に塩山現場仕上げ未決事項を決定したく荒探し。一方、「周辺と呼応する建築(responsive architecture)」スタディは粛々と進む。こういうスタディは仕事の谷間に蓄積しておかないと。仕事が来てからでは手遅れで、、、

December 14, 2010

自己評価申告書の緩さ

この季節になると恒例の大学業務の自己評価申告書というのを書く。事細かに自分のやったことを書いて規定の点数を入れていく。そうすると簡単に合計点が出てそのエクセルシートがあなたの価値になる。民間企業ならこの自己申告書をもとに上司とコミュニケーションして「おまえはそう言うけれど認めない」とか「なかなか良くやった」とか査定されていくのだろうが、大学では(おそらくどこの大学でも)そういうフィードバックは行われない。そうなってしまうのには二つの理由がある。一つは大学と言う場所が近年ますます組織的なヒエラルキーを排除したことにある。つまり誰かが誰かの上にたって下の人間を評価するという仕組みが消滅しつつあるからだ。次によしんば上下関係が残存している場所でも、学問の専門化は他人の領域をブラックボックス化させている。つまり人の仕事の内容について量を超えて質を評価することは難しくなりつつある。こうなると評価の基準は客観性を唯一保てる数が頼りとなる。論文何本書いたか?学会の役職をいくつやったか?学内の委員をいくつこなしたか?企業の研究費をいくらもらったか?ということがその人の価値とならざるを得ない。大学と言うところに来た時そのことには少々驚いたが、気楽なものだとも思った。企業の営業棒グラフみたいなものでノルマをこなせ契約取ってこい!!というのに近い。とは言え研究って数値だけに還元できないだろうからこんな状態だとちょっと危ないよなあとも感じるのである。

自立の思想

その昔サントリー学芸賞を受賞した『アフターアメリカ』という本を読んで保守やリベラルを超えたアメリカの姿にちょっと希望を持った記憶がある。その同じ著者の『アメリカン・デモクラシーの逆説』岩波新書2010を読んでみた。あとがきにこんなことが書いてあった。ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2008年の大統領選の最中「オバマはイスラム教徒である」と吹聴する共和党の一部を戒めて次のようなことを言った。オバマはイスラム教徒かと聞かれたら、キリスト教徒というのが正解だけれど、もしイスラム教徒だとして何か問題があるのか?答えは否。アメリカではそんなことが問題であるはずがない。これを読んで日本にこうした決然とした態度をとれる政治家がいるだろうかと考えてしまった。党派性に縛られることなく自立した発想を持てる政治家である。数日前に話題にした吉本隆明の思想はこれに近いものがあるのだが、よく考えてみると今の日本でこういう発言は政治家向きではない。日本にはこういう発言をできる政治家がいないと嘆いても無意味なのかもしれない。なぜなら日本とはこういう発言が効果的に政治を動かせる構造を持たない国だからである。

December 13, 2010

6軒長屋

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午後ジムに寄ってから伊藤君のオープンハウスに行く。笹塚から歩いて7~8分だが案内を忘れてきた。スマートフォンのGPSおかげで苦も無く着いた。便利だなあ。建物は200㎡に6軒入った長屋である。高度斜線の影響で家型が双子のようにくっついた形。層毎に世帯を分けると下層階の環境が悪くなるので1階と3階をつなぐなどなかなかアクロバティックな構成になっている。外装のクロス入りモルタルがいい風合いである。
夕刻八潮先生ズたちとの打ち合わせ。公園設計の方針は決定して年度内基本設計そして来年度実施設計となる。どこでデザインの詳細検討を挟み込むかがポイントである。3月4月が山だろうか?その後浅草で忘年会。去年も来たえびす丸。去年はすっぽん。今年はあんこうである。

December 11, 2010

アクリル絵の具で空を描く

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先日、日比野克彦を見たら気分が晴々した。彼の世界がとても豊かで自由に見えたのである。芸術は伝染するもので、自分も日比野みたいに大きな画用紙に自由な絵を描いてみたくなった。職業がらスケッチ程度ならよく描くが手帳大の小さなものである。サインペンで形をとって水彩かマーカーで色をつける。しかし今回描きたいと思ったのはそんなんじゃない。もっと大きくて自由な奴。カルトンに紙を入れて長い筆で書のような絵を描きたいのである。しかし日比野流で行くなら岩絵の具。こりゃちょっと金もかかるし、テクニックもないしどうしようかと配偶者に相談。パステルにしたら?と言われたので午前中しばしパステルでバルコニーの草など描いてみたのだがどうもあの小さなチョークのようなものを画用紙にこすりつける感じが自由じゃない。もっとスムースに楽々と描きたい。やはり水に溶いたもがいい。でも水彩は飽きた。となると油かアクリルか。油はやったことないし、自信がないので消去法でアクリルである。早速世界堂に行き気に入ったアクリル絵の具を6本とグロスワニスを一本、大小の平筆を5本。キャンバスペーパーの大型スケッチブックを一冊買ってきた。そして何を描こうか??もう真っ暗だし。昼の空を思い出し描いてみた。そらである。年末配偶者とこんな絵を描きに1日旅行へ行くことにした。僕はアクリル、かみさんは墨である。

December 10, 2010

吉本と篠原

朝ゼミ。今日の輪読本は鹿島茂の『吉本隆明1968』。吉本は正直言ってたくさん読んだけれど分からないことが山とある。そして吉本解説本も結構読んだ。でもどれもおぼろげだった。そうこうしているうちに既に最初に吉本を読んでから20年以上たち、数年前にこの本を読んだ。そして初めて吉本がぐっと分かるようになった。というわけで学生にもこれを読ませようと思った。今朝久しぶりにこの本読んでみて「ぐっと分かった」ことを思いだした。それは、吉本の偉さ(鹿島のことば使い)は言うことがぶれないということ。吉本は常に自らの腹の底から湧き出る声を時流に流されずに語れる人だということだ。何だそんなことかと思うかもしれない。でも「そんなこと」をずっと続けることがどれほど大変かはちょっと考えれば分かることである。篠原一男が生前対談の相手候補に吉本隆明を挙げたことがある。その理由をことさら聞かなかったが今にして思うと妙に納得する。自分と同じ血を吉本に嗅ぎ取っていたのである。
午後製図のエスキス。夕方大林設計部に行った研究室OBがリクルートにやってきた。今年のM1は2人留学し、留学している2人が未だ帰ってこないので残念ながら聞く人が少ない。夜のアサマで帰宅。

December 9, 2010

稲荷山でカラマツへのこだわりを勉強する

うまく日程が組めず今日もアズサで塩山へ。9時に現場へ。コンクリートは3階の床まで打ち上がる。8月半ばに着工して4か月半かかって年内上棟。出来高30%台。年明け2カ月で残り60%以上を仕上げるのだから来年はちょっと緊張する。気を張らないと知らぬ間にいろいろなものが出来てしまう。大学が最も忙しい時期だけに少々不安。昼前に現場を出て北河原さんの稲荷山養護学校を見に屋代へ向かう。塩山から中央線で韮崎乗り換え松本。そこから篠ノ井線で篠ノ井乗り換えて屋代という予定。ところが中央線が来ない。乗り換えスケジュールがくるい予定より遅く到着。篠ノ井線の姨捨あたりからこの建物の稲穂色の大きな屋根は何度も見ていたが中に入って見せてもらうのは初めてである。担当だった上原さんに案内していただく。県産材のカラマツの今後の活用を見据えて徹底してその使用にこだわったデザインに脱帽。しかも一般の流通を考え4寸角を基本として使用。必要に応じて抱き合わせ、それでいてデザイン的にスマートに処理されている。またパンチの効いた木のデザインは随所に見られるベニヤの箱に収納された照明ボックスもその一つ。そんなこだわりの中で子供への優しさが随所に見られとても勉強させられた。
見終わったのは5時だがもう真っ暗。冷たい雨に濡れながら長野のマンションへ。風呂につかり体を温め飯尾潤『日本の統治構造』中公新書2007を読む。2007年のサントリー学芸賞を受賞した書である。日本の議院内閣制が本来の機能を果たさず官僚支配になる構造がとても分かりやすく論じられている。

December 8, 2010

ピアノという楽器の繊細さ

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朝方のアズサで甲府へ。昨日の雨があがり雲が飛んで冷え込んでいる。空気は澄み渡り甲府を囲む山々がくっきりと青空に浮かび上がる。昨晩の雨が山では雪に変わりうっすらと雪化粧。
甲府駅前は駅広整備が行われている。甲斐市にあった重文の擬洋風建築(藤村記念館)が移築されて駅広に鎮座し、その背後に丹下さんの山梨文化会館が見え、かたや駅自体が宇宙的デザインで拡張されている。いやはやなんともちぐはぐ??
現場は建具の塗装中。外構に土を入れて高さ調整。外壁の白がまぶしい。午後事務所で定例会議。
午後のアズサで新宿へ。車中高木裕『調律師、至高の音をつくる』朝日新聞出版2010を読む。スタインウェイを20台近く保有し、それをピアニストともに会場に運び込むという著者の調律師としての新しい職能の拡張に驚く。それはもはや調律師を超えピアノサウンドプロデューサーである。ピアノの調整で最も気を使うのは温湿度だと言う。それは弦楽器ときわめて近い。そう考えると確かに弦を鳴らし、それを共鳴箱で響かせる原理は弦楽器そのものである。その昔温湿度が適当ではないところで練習するときはヴァイオリンを布でくるんで弾いていた記憶がある。ピアノもそのくらいデリケートな楽器であることがよくわかった。

December 7, 2010

川口先生の構造と感性

川口衛先生から『構造と感性Ⅳ』法政大学建築学科同窓会2010が届く。A5の可愛らしい本である。ページ数も70ページ足らず。でも内容は濃く楽しい。磯崎さん、妹島さん、内藤さんらの名建築の構造苦労話が語られている。この本はシリーズの第四番目で木造特集。僕も見た内藤さんの日向駅も川口さんだったとは知らなかった。あれは架構だけではなくディテールまで完成されていると感じた建築だ。説明が分かりやすく、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲも読みたくなった。
夜『ことばと思考』を読む。人はことばで世界を切り分ける。ということになると、緑という言葉を持たない民族は緑を他の色と識別できないかと言うと、できるのだそうだ。なんだじゃあ人はことばで世界を切り分けてはいないのかという気になる。もっと言うと虹色の7色のことばを持っている民族と、3色のことばしか持たない民族(本当にいるらしい)ではどちらが色の識別能力が高いかというと実は3色の方らしい。ことばがある民族は連続的に変化する色相をどこかでどちらかのことばに含みいれてしまうからだそうだ。なるほどね。ことばがあるから豊かな感性を保持できるとは限らないということか。これはちょっと発見である。

ことばが世界を切り分ける

久しぶりに始発のアサマで大学へ向かう。これまでは朝会議の日は前日の夜行っていた。しかし冬になると夜中の長野マンションは冷蔵庫状態。とても寝られないのでこれからは少々辛くても朝一で行くことにした。早朝出かけるのも気持ちのいいものである。車中今井むつみ『ことばと思考』岩波新書2010を読み始めたが案の定眠りに落ちた。午前中学科会議。午後ゼミ。4年の卒論梗概をそろそろ真面目に見始める時期だが、憂鬱である。毎年何書いているんだか分からない。今年はまた一段と分からない。自分たちは分かっているのだろうか?夜学科の忘年会。今日はリンゴジュースで鍋をつつく。寒いマンションに戻るのは嫌なので東京にとんぼ返り。車中『ことばと思考』の続きを読む。言葉は世界を切り分ける道具。だから世界の認識は使う言語で変わる。ということはずっと思ってきたことだが実例を示されるとさらに頷く。例えば、信号機の緑を日本人は緑と言いアメリカ人は青という。それは日本人が青という言葉を持たず、アメリカ人が緑という言葉を持たないからではない。双方、両方の言葉を持つのだがその言葉が指し示す領域が異なるのである。しかし世界には青と緑を区別しない言語が多くある。つまり青と緑の両方を同じ言葉で示す言語である。なんとその数は119言語中91もあるそうだ。もちろん世界の切り分けは名詞に限らない、形容詞、動詞に至るまでその差はさまざまのようである。

December 5, 2010

布一枚が隔てる空間

医者と建築家はちょっと似ている。医学には建築と同様その分野の歴史つまり医学史というものがあるそうだ、それによれば医学とは自然科学なのか行為の科学なのかそれとも術なのか時代によってその認識が変化していたようだ。(「ドイツ医学史観」アルフォンス・ラービッシュ『身体は何を語るのか』見田宗介編新世社2003所収)昨今では医学はそうした行為総体ととらえられているようだが、建築も近い。そもそも建築という行為は自然科学ではなくそれは行為である。しかるに学校というところはそういうことを全く教えようとしない。これはどういうことだろうか?医学のカリキュラムはそういうことを教えるようにできているのだろうか?
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先日ゼミで衣服のような建築を作りたいという学生がいた。体の半分は上の空間にあり体の半分は下の空間にありそれを隔てるものは布一枚というようなスケッチだった。それを見てああどこかで見たことがあると思って本棚を探していたら出てきた。Ann Hamiltonの作品だった。写真でしかしらないこの作品を僕はすごくすごく好きである。でもこれは建築になるだろうか?
今晩長野に行こうと思ったが寒くて億劫で明日朝一のアサマに載る決意で風呂につかる。読みかけの森功『同和と銀行―三菱東京UFJ汚れ役の黒い回顧録』講談社2010を読む。なかなかのルポ。銀行もこういう世界と付き合わざるを得ないそのしょうがなさがひしひしと伝わる。

December 4, 2010

熊野

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熊野本宮の八咫烏は日本サッカー協会のシンボルである

9時の飛行機で南紀白浜へ。また乗り遅れないように気張って早起きしたら7時半についてしまった。思わず朝御飯を食べてゲートで寝ないように本を読んでいたら香山先生がいらっしゃった。南紀白浜から事務所のスタッフの方の運転で世界遺産熊野本宮館へ1時間のドライブ。去年何としても熊野へと思い、しこたま本を読みいろいろ調べた挙句結局うまくスケジュールが組めずあきらめて伊勢に行った。1年越しの念願が叶った。敷地は前に写真で見ていたがこの迫力は本物を見ないと分からない。熊野川のとんでもない幅と対岸に迫る山並みには驚かされた。その山並みへ抜ける2棟に分割した配置。建物前面で来訪者を受け止める歩廊。8寸角の地元産の無垢柱。環境、計画、生産、施工、構造さまざまなことが一つに焦点を結んでいるように感じた。その後せっかく来たので本宮を拝みさらに熊野古道の王子の一つに車で連れて行ってもらい少し歩いてみた。山の冷たい空気の中に風の音が舞っていた。


December 3, 2010

LとRの発音

今朝長野は大雨。傘をさしても少々濡れた。ヨーロッパから留学許可の朗報。めでたい。午前中ゼミ、講義。午後は後期後半課題の敷地見学。ここを見るのもこれが最後。傑作を作って欲しい。ちょっと早いが東京へ戻る。車中白井恭弘『外国語学習の科学』岩波新書2008を読む。この中に結構面白い実験結果が出ていた。日本人はLとRの発音差を聞き取れないとはよく言わる。聞き取れないからもちろん発音も使い分けられない。ところが、それは生まれつきではないらしい。成長の中でその差を無視することを学習してしまうのだそうだ。ある実験によると生後数カ月は日本人の赤ちゃんもLとRを聞き分けられ、その間に英語を聞かせておくと成長してもその差を認識できるようになる可能性があるとのこと。これはもちろんいろいろな場合に通用する。アメリカ人の赤ちゃんに中国語を聞かせておくと米語にない中国語の発音が上手になるという実験結果もあるそうだ。考えてみれば確かにそんなことは後天的なものであろうことは想像に難くない。もう少し早くこのことを知っていたら自分の子供に試しみたのだが、、、、、

December 2, 2010

悲しみ先取り症候群

午前中のアサマで長野へ。車中で読んだ川上未映子の短いエッセイにこんなことが書かれていた。川上は将来起こるであろう悲しい出来事に備えて想像の中で先回りして、その悲しみの予行演習をするという。しかしこの悲しみ先取り症候群も親友の死を前にしてまったくその機能を果たさなかった。あの小林秀雄も母の死にあって「もっと大事にすればよかった」などとひどく普通のことを言ったそうだ。物事をねちっこく考える小林であっても死は想像を絶するものだったということなのだろう。そして最後に悲しみ先取り症候群など時間の無駄なのか?人生は今だけ考えていればよいのだろうか?と自問する。
このエッセイを読みながら夭折の哲学者池田晶子の言葉を思い出した。「死を前提にしない哲学などあり得ない」。僕はこの言葉が気に入っている。哲学などと硬く考えずとも生き方と読み替えてもよい。「死を前提にしない生き方などあり得ない」。その意味では僕らは常に先回りし死の予行演習をしたほうが良い。もちろんそれは本番の悲しみを除去するためではない。
午後会議、ゼミ。無線ルーターを買ったのだがうまくつながらない。悔しい。

植物のノイローゼ

今年の夏の猛暑でただでさえ元気のないトネリコとレッドロビンが焼けた。そんなわけでバルコニーが少し淋しくなっていたのだが、先日新宿の花屋でトネリコとオリーブ見つけ、安かったので配達してもらった。そのトネリコが今朝見ると一部、葉が落ちている。枯れるというのではなく落ちている。以前、事務所にいただいたトネリコの葉が同じように落ちてしまった。プロに聞くとそれは植物のノイローゼだと言っていた。環境が急に変わると起こるというのである。このトネリコも新宿から急に四谷にやってきたからノイローゼだろうか?似たような環境ではあるのだが。